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会社の飲み会は、なぜ無くならないのか

鬱陶しいと言われ続けて、それでも会社の飲み会は無くなりません。出ないことは、実はお互いのためでもあります——会社から出ていきたい人と、その人に出ていってほしい側の利害が、その一点で、静かに一致するからです。飲み会という、たった一度のフィルターが何を選り分けているのか。少し意地悪に、けれど正直に考えてみる読み物です。

A COMPANY READING ・ 出ない、という選択
この記事のタグ 人事・労務

SUMMARY

会社の飲み会は、長らく「鬱陶しいもの」の代表格です。それでも、なかなか無くなりません。なぜでしょうか。ひとつの見方として、飲み会には、人をそっと選り分ける働きがあるからだ、と言えます。出ないという選択は、実は、出ていきたい人と、出ていってほしい側の、両方の利害を満たしてしまう。だから誰も、本気では無くそうとしないのかもしれません。

他人同士が集まる組織で大切なのは、知り合い同士の細い糸から生まれる、ゆるやかな結びつきです。そこへ加わる気のない人からは、その糸は、伸びてきません。

参加しない時間に、人は何をしているか

飲み会に参加しない人は、その時間に何をしているのでしょうか。家でくつろぎ、ゲームに数百円を課金して過ごす——それも、ひとつの自由です。ただ、組織という関係の中で言えば、その時間に本人が選んだものの値打ちが、その人から受け取れる価値の上限を、往々にして示すものです。課金が三百円なら、受け取れる最大も、その程度。冷たい言い方ですが、関係とは、そういう面を持っています。

親しくなる労を、家族や友人以外に

誤解のないように言えば、家でゆっくり過ごすこと自体に、何の問題もありません。問題は、親しくなる手間をかけてもらえるのは、家族や友人だからこそだ、という点です。それ以外の関係の相手に、こちらから親しくなる労を払う義務は、本来ありません。もし職場で大切に扱われたいなら、その手間の入口に、飲み会のような場が置かれている。出てきて、親しくなればいい。ただ、それだけのことなのです。

飲み会に出ない自由は、もちろんあります。けれど、出ないことで途切れる糸の分だけ、その人から受け取れるものも、受け取ってもらえるものも、細くなる。たった一度の場が、案外、多くのことを選り分けています。
この記事は、飲み会への参加を強制したり、不参加の人を低く見たりするものではありません。事情は人それぞれで、ハラスメントになりかねない同調圧力は論外です。ここで扱うのは、強制の話ではなく、関係に手間をかけるかどうかが、受け取れる関係の太さを決める——という、組織の冷静な一面です。

COLUMN

まだ会社が小さかったころの話です。私は起業して間もなく、社員みなでマンションの一室に泊まり込んで働くような、むさ苦しい体育会系の会社をやっていました。寝袋とモニターと出前の容器が転がる、あの熱っぽい日々です。ある日、いちばん威勢のいい部下が、小鼻を膨らませて私に詰め寄ってきました。「すごく優秀なプログラマーを採れそうなんです」と。

正直なところ、私は半分、醒めて聞いていました。理系の、物静かな技術者が、こんな汗くさい現場で本当にやっていけるのか。腕がいいのと、この会社の水に合うのとは、別の話だろう。そんなことを思いながら、まあ採ってみろ、と気のない返事をして、私はモニターの向こうで、翌日の営業の段取りを組み続けていました。彼の腕前など、しょせん入ってみなければわからない、と高をくくっていたのです。

数日後の夕方でした。オフィス代わりのマンションのインターホンが、鳴りました。出てみると、見知らぬ小柄な男が、ひとりで立っている。誰だろうと用件を尋ねると、彼は少し口ごもりながら、先日採用が決まった、あのプログラマーだと名乗りました。まだ初出社の日でもないのに、なぜここに——と訝る私に、彼はぽつりと言ったのです。「まだ、僕のことをご存じないはずだから。ご飯でも一緒に行って、自己紹介をしようと思って」。

私は、不意を突かれました。技術者というのは、与えられた仕事を黙々とこなす人種だと、勝手に決めつけていたからです。けれどこの男は、まだ一円も給料をもらっていないうちから、自分の足でやってきて、これから一緒に働く相手と、自分から関係を結びにきた。誰に命じられたわけでもなく、です。なるほど、優秀と評判なだけのことはある——私は内心で、自分の値踏みの浅さを恥じながら、感心していました。

近所の、油の匂いの染みついた中華料理屋に、二人で入りました。向かいの席で、彼はあいかわらず口下手で、餃子をつまみながら、ぽつぽつと自分のことを話しました。立て板に水の自己PRなど、ひとつもない。けれど、その不器用な一時間で、私は彼がどういう人間か、履歴書の何倍も深く知ることができました。果たして彼は、その後、聞いていた以上の成果を、次から次へと上げていったのです。

あとになって、私はよく考えました。あの夜、彼がインターホンを鳴らさなかったとしても、彼はきっと優秀なプログラマーとして、それなりに仕事はしたでしょう。けれど、自分から関係を結びにくるという、あのひと手間があったかどうかで、私と彼のあいだに伸びた糸の太さは、まるで違うものになった。仕事ができて、どこへ行っても困らない人ほど、なぜかこの、誰に言われずとも関係をつくりにいく、という所作を、当たり前のようにやってのけるのです。

飲み会が鬱陶しいものだというのは、よくわかります。私自身、強いて人を誘うのは好きではありません。けれど、たった一度の食事の席が、それと知られぬまま、人を選り分けていることもまた、確かなのです。自分から関係を結びにこられる人と、それを面倒がって避ける人。向かいの席に座るか座らないか、ただそれだけの違いが、長い目で見ると、受け取れるものと受け取ってもらえるものの太さを、思いのほか大きく分けていきます。

あの中華屋の、向かいの席に座った小男の顔を、私はいまでも、ときどき思い出します。彼が差し出したのは、立派な経歴でも、達者な弁舌でもありませんでした。ただ「あなたを知りたい、自分を知ってほしい」という、ささやかな一歩だけです。その一歩を踏み出せる人のところにだけ、人も仕事も集まっていく。誘いに応じるか、自分から誘うか——その小さな選択を、私たちは毎日、知らずに採点され、また採点しているのかもしれません。

あなたが関係に手間をかけているのは、誰に対してですか。

親しくなる労は、本来、家族や友人にだけ払えば足りるものです。職場の誰かと、その手間を交わすかどうかは、自由に選べます。ただ、選ばなかった相手とのあいだに伸びる糸は、その分だけ細い。たった一度の集まりに出るか出ないかが、思っているより多くのものを、決めているのかもしれません。

提供:¥Today

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