借りられるうちに、借り方を決めておく
資金が必要になってから動き始めるのでは、その時には選べる手がもうかなり狭まっています。まだ余力があるうちに、どの枠をどう使うか、どこから順に借りるかを決めておく。当座貸越、定期預金、既存の融資枠——手元にある道具は、使い方しだいで、いざというときに動ける余地が大きく変わります。
SUMMARYまず、要点だけ
資金繰りの相談で多いのが、「いざとなれば借りられる枠があるから大丈夫」という構えです。しかし、枠は持っていることより、いざというときに動かせる状態に保っておけているかが問われます。余力がある段階でこそ、枠の使い方と借りる順序を決めておく——それが、後で効いてきます。
借りられるうちに段取りを済ませておく。これは前倒しの心配性ではなく、選べる手を最大限残しておくための、いちばん現実的な備えです。
当座貸越は「瞬間的な需要」に温存する
当座貸越の枠は、常時の運転資金を埋めるために使うものではありません。本来の使いどころは一時的な穴です。納税が一瞬だけ足りない、設備投資の融資が下りるまでの大口の支払い、融資と融資のつなぎ、大型補助金の入金までの審査の谷間——そうした、近いうちに確実な実入りで戻せる場面にこそ向いています。
定期は解約せず、担保に
手元の現金が要るとき、定期預金を解約してしまいがちです。けれど、定期預金を担保にした借入(定期預金担保貸付)は、ほぼ無条件で実行されます。解約して銀行との関係資産を手放すより、担保に差し入れて借りるほうが、定期も、銀行との関係も、枠も温存できます。
返済が進んだ枠は、束ねると新しい資金になる
既存の借入の返済が進むと、その空いたぶんが次の調達余力になります。たとえば、元本1,000万円で残高300万円の融資と、元本500万円で残高300万円の融資(残高は合わせて600万円)。これをまとめて、新規2,000万円の保証付き枠や証書貸付に一本化する——こうした提案を、銀行のほうから持ってくることがあります。この場合、差額の1,400万円が新しく使える資金(ニューマネー)になります。返済の実績そのものが、次に動かせる原資を生んでいるわけです。
「機動的に借りられる」は、思っているほどではない
もう一つ、過信されがちなのが調達のスピードです。公的な融資は、困ってから駆け込む窓口というより、平時に枠を作って少しずつ広げていく仕組みに近い。仮に機動的に申し込むつもりでも、実際に必要になる二か月近く前に動いて、ようやく間に合う程度の感覚です。回答に一か月かかれば、残された時間はわずか。「いざとなれば」で構えていると、その「いざ」に間に合いません。なお、保証協会・公庫・プロパーといった調達手段には中立的な序列がありますが、実務では銀行が貸倒れの引当コストを抑えるために保証協会を織り交ぜて実行することが多く、プロパーかどうかを自分で選べる会社は、思うほど多くありません。
COLUMNもう少し、深く
その経営者は、自分を慎重な人間だと思っていた。無理な借入はしない。身の丈を超えた投資もしない。手元には、いつでも引き出せる枠がいくつかある。当座貸越の契約も、銀行とのあいだにきちんと結んである。だから、彼の口癖は決まっていた。いざとなれば、借りられる枠があるから大丈夫。その一言で、彼は長いあいだ、夜よく眠ってきた。
ある晩、取引先の倒産の報せが、業界の片隅から流れてきた。彼の会社とは直接の取引はない。だが、その先に続く連鎖をふと想像したとき、背筋に、細い冷たさが走った。もし、あの口癖の「いざ」が、来月、ほんとうに来たら。自分は何を、どの順で、どこに頼みに行くのだろう。そう自問した瞬間、彼は奇妙なことに気づいた。あれほど頼りにしてきた「いざとなれば」の中身を、自分は一度も、具体的に思い描いたことがなかったのだ。
枠は、ある。それは確かだ。けれど、枠があることと、その枠がいざというときに動くことは、同じではないのかもしれない。彼は生まれて初めて、そのことを腰を据えて考えた。
たとえば、いちばん頼りにしていた当座貸越。あれは本来、瞬間的に空いた穴を、すばやく埋めるための道具のはずだった。だが、もし日々のじわじわとした足りなさを埋めるために、なし崩しに使い始めてしまったら、どうなるか。戻すあてのないまま枠を食いつぶしてしまったとき、いちばん身軽で、いちばん早いはずだったその一手は、二度と動かせない、重たい塊に変わってしまうのではないか。最も使い勝手のいい道具を、知らぬまに真っ先に潰している——そういう順序の取り違えが、世の中にはあるのかもしれない。彼は、ひやりとした。
考えれば考えるほど、自分のあの「大丈夫」が、ずいぶんと漠然としたものだったように思えてくる。銀行が貸すかどうかを決めるとき、向こうがほんとうに見ているのは、枠の額面そのものではないのだろう。その枠に、まだどれだけ余裕が残っているか。これまで律儀に返してきた実績が、どれだけ静かに積み上がっているか。そして何より——こちらが、どれだけ早い段階で動いたか。資金が尽きかけてから慌てて駆け込んできた者と、まだ十分に余裕のあるうちに、落ち着いて相談に訪れた者とでは、たとえ出す書類が同じでも、受け取る側の心証はおのずと違うはずだ。
そうか、と彼は思った。時間こそが、いちばん見落としやすい資産なのだ。金は、借りれば増やすこともできる。だが、決断までに残された時間だけは、どこからも借りることができない。必要になってからおもむろに動いたのでは、おそらく間に合わない。こちらが回答を待っているあいだにも、現実のほうは、片時も止まってくれないのだから。動くべきは、たぶん、必要になるよりもずっと前。何も困っていない、まさに今このときなのだ。
彼は、自分がこれまで「備えていた」つもりで、その実、ただ「持っていた」だけだったことに気づいた。枠を持っていることと、その枠をどう使うかをあらかじめ決めておくことは、まるで違う。財布に金が入っていることと、その金を何にどう使うか決めてあることが、まるで違うように。ただ持っているだけの安心は、いざとなれば、驚くほどあっけなく指のあいだから崩れ落ちるのかもしれない。
幸い、彼にはまだ、時間があった。追い詰められてからではなく、何事も起きていない、この静かな夜のうちに。彼はようやく、あの「いざ」の中身を、一つずつ具体的に思い描き始めた。どの枠を、ぎりぎり最後の瞬間まで手をつけずに温存しておくか。どれを、いざというときの最初の一手として切るか。慌てて走り出す前に、動く順序だけでも決めておく。それは気の弱い者の取り越し苦労ではなく、いざというその日に、選べる手を一つでも多く残しておくための、静かで確かな賢さなのだと、彼は初めて、深く納得したのだった。