融資の段取りで、つまずかないために
融資が通るかどうかは、申し込んでから決まるのではなく、申し込む前の段取りでほとんど決まっています。書類の数字より前に見られているもの、決済日の前後でつまずく落とし穴、複数の銀行とどう付き合うか——一般のハウツーがあまり言わない、実務の勘所を五つに絞って整理します。
SUMMARYまず、要点だけ
融資の準備というと、決算書や事業計画書を揃えることだと思われがちです。もちろんそれも要りますが、書類を整える前に詰めておくべき段取りがあります。ここでつまずくと、書類がどれだけ立派でも話が前に進みません。実務で効く五つを挙げます。
一、決済のタイミングを、三者で先に詰める
不動産や建築がからむ融資で多いのが、決済タイミングのつまずきです。物件の引き渡しと代金の決済、どちらが先か。期日が切迫してから慌てると、銀行は「引き渡しが済んだら完成工事代金を振り込む」と言い、建築会社は「引き渡しには代金の決済が先だ」と言う——その板挟みにはまり、未払いを責め立てられるような局面に陥りかねません。金融機関・不動産会社・建築会社の三者で、決済日と引き渡し日の前後関係を、早い段階で詰めておく。これだけで、土壇場の混乱の多くは防げます。
二、納税資金は、足りなくなる前に手当てする
納税資金が無いと気づいてから「運転資金を貸してほしい」と言い始める——これは段取りとして筋が悪い。税金は時期も額も分かっているはずのもので、それを直前の運転資金で穴埋めに行っても、貸せないものは貸せません。納税証明書がないのだから。納税は、慌てて借りるものではなく、前もって備えておくものです。
三、書類は、数字以外も見られている
意外に思われるかもしれませんが、印影や判子は、よく見られています。判子の押し方が雑だったり、こだわりのない既製の印鑑を間に合わせで使っていたり——そうした細部に、商売への姿勢がにじみます。お金の話ばかりで、そういう細部に無頓着な相手を、経験を積んだ銀行員ほど、どこか警戒するものです。書類は、数字を伝えるためだけのものではありません。
四、複数行で借りるなら、主導権と金利を設計する
融資総額が数億円規模になるなら、銀行の組み方が効いてきます。メインバンクは民間一行に定め、残りは政府系と民間に主導権を持たせるのが、まず大事な型です。もう一つ、見落とされがちなのが金利です。複数の融資すべてをギリギリの低金利で固めてしまうと、貸し手に利益が出ない。あえて一本は金利を一歩譲り、相手に儲けの出る取引を混ぜておく。金があるときにすら儲けさせてくれない相手に、いざ再建が必要となったとき、債権者はどうするでしょうか。
五、譲れない線を、先に一本決めておく
交渉でつまずいて融資が流れる典型は、何でも突っぱねるか、何でも呑むか、のどちらかです。譲れない一線を先に決めておけば、その他は譲れる。どこかで相手に合わせて自分の主張を引っ込める——その正統派の交渉をするために、何が絶対で何が譲歩可能か、頭を常に整理しておくことです。これは三の「言うべきこと」とも地続きの話です。
COLUMNもう少し、深く
机の反対側に、長く座ってきた人間の話もしておきたい。ある地方銀行の、支店長を務めた男だ。これまで述べてきた段取りの数々を、借り手の側からではなく、貸し手の側から、彼がどう見ていたか。同じ一つの場面が、机を挟んで反対から眺めると、まるで違う色に見えてくる。
彼は、何百という経営者と面談してきた。決算書の数字は、むろん見る。事業計画の筋も追う。だが、長くこの仕事をするうちに、彼がいちばん信じるようになったのは、数字ではなかった。書類の隅に押された、判子の一つだった。
若い行員には、よくこう言ったものだ。数字は、いくらでも化粧ができる。だが、判子は嘘をつかない、と。曲がって、欠けて、間に合わせの三文判が乱暴に押してある。そういう書類を差し出してくる経営者は、たいてい、細部に対する構えが緩い。金額の話には熱心なのに、自分の名を刻む一点には、何の注意も払っていない。彼はそこに、その人の商売そのものへの態度を見た。約束を、どれだけ重く扱う人間か。判子は、それを声に出さずに語ってしまう。本人が何を取り繕おうと、だ。
もちろん、判子一つで融資を断るわけではない。それは口実に過ぎない。ただ、彼の中で、警戒の針がわずかに振れる。そして長年の経験は、その小さな針の揺れが、驚くほど当たることを、彼に教えていた。
面談の席で、彼がじっと見ていたものは、ほかにもある。その経営者が、何を隠そうとしているか、だ。妙に多弁な相手がいる。聞いてもいないことまで、先回りして説明し始める。たいてい、その饒舌の奥に、触れられたくない一点が埋まっている。逆に、痛いところを突かれても、ああ、それはこういう事情です、と淀みなく開いてみせる経営者がいる。彼が信用したのは、いつも後者だった。
面白いことに、と彼は述懐する。隠し事のある経営者ほど、こちらが何も尋ねていないうちから、身構えている。言ってはいけないことを、自分で抱え込んで、その重みに耐えかねている。だが考えてみれば、その秘密は、誰かに強いられたものではない。日頃、不透明な商売をしてきた、その当人が、自分で作り出したものなのだ。透明にやってきた者の前には、そもそも、隠すべきものが存在しない。彼の目には、面談の巧拙よりも、その一点の差のほうが、はるかに大きく映った。
そして、金利の話だ。これが、彼の最も苦々しく思っていたことだった。
業績の良いときに限って、経営者は強気に出る。複数の銀行を競わせ、コンマ何パーセントの金利を、一厘でも削ろうと迫ってくる。相見積もりをちらつかせ、よそはここまで下げると言っている、と揺さぶる。彼も商売だ、ある程度は応じる。だが、すべての取引を、限界まで削り取られたとき、彼の中で、その経営者の格付けは、金利とは別のところで、静かに一段下がる。
なぜか。融資とは、金利という薄い利鞘を、長い年月をかけて積み上げていく商売だからだ。その一社のために、支店は人を割き、手間をかけ、いざというときの備えもする。その元手すら出し渋る相手を、銀行は、心のどこかで「客」として遇しきれなくなる。そして彼は、何度も見てきた。平時に一厘単位で削り取っていった経営者が、いざ業績を傾けたとき、どの銀行からも、驚くほど素早く梯子を外される瞬間を。
貸し手にも、情があるのだ。少なくとも、情の入り込む余地がある。普段、こちらにもいくらか儲けさせてくれた相手のためなら、支店長は、稟議書に一筆書き添える気にもなる。あの会社は、苦しいときも誠実だった、と。だが、最後の一滴まで搾り取っていった相手のために、危ない橋を渡って庇おうとする者は、どこにもいない。当然のことだった。利を残すというのは、媚びることではない。いざというときに、相手の側に、自分を助ける理由を残しておく——それだけのことなのだ。
支店長を退いたいま、彼はぽつりと言う。あの机の向こうに座っていた経営者たちは、自分が値踏みされていることには、よく気づいていた。だが、何を値踏みされていたかは、最後まで分かっていない人が多かった、と。見られていたのは、数字ではない。その数字を差し出す手の、所作だった。判子の押し方であり、隠し事のなさであり、相手にも儲けを残すだけの、ささやかな器量だった。書類が立派かどうかなど、本当は、二の次だったのかもしれない。