スターバックスと、世の中の平均線
世の中の平均線が、どこにあるのか。人は案外、そこに考えをめぐらせません。飲食業には飲食業の、製造業には製造業の平均線があり、人材も、環境も、教育の水準も、地域ごとにその総力は平均線以下で推移していることがあります。なぜ地方ほど店から多様性が消え、チェーン店とイオンに席巻されていくのか。ある経営者が、なじみのスターバックスで自分自身に気づいてしまう、という話です。
SUMMARY平均線は、どこにあるか
世の中には、業種ごと・地域ごとに、目に見えない平均線があります。その地域の人材の水準、設備や環境の水準、教育や情報への感度——それらの総和が、ある一本の線を描いている。多くの経営者は、自分や自社がその線のどこにいるかを、正面から測りません。日々の忙しさの中で、自社の腕や経験を「悪くない」と感じている。けれど、感じている位置と、実際の位置は、しばしば大きくずれています。
なぜ、地方に行くほど、店に多様性がなくなり、チェーン店と大型モールに塗りつぶされていくのか。それは「地方だから」ではなく、その地域の平均線そのものが、静かに下がっているからかもしれません。
「腕はいい」の落とし穴
有資格者で、技術はある。流儀にこだわり、自分のやり方を持っている。だから経営者の言うことに耳を貸さず、新しいやり方も覚えようとしない——そういう職人気質の社員を、経営者はつい「腕はいいのだから仕方ない」と許してしまいます。けれど、その「腕」は、どの平均線で測った腕でしょうか。狭い地域の、下がりつつある平均線の中での「腕がいい」は、外の世界の平均線に届いていないことがあります。そして本人も経営者も、それに気づけない。
チェーン店は、平均線を可視化する
全国チェーンが地方に進出するとき、それは単に資本力で個人店を潰しているのではありません。毎月のように新商品を投入し、その作り方を覚え、均一の水準を保つ——その運営に必要な水準を、地域の人材が満たせるかどうかが、可視化されてしまう。チェーンに席巻される地域とは、その地域の平均線が、チェーンの求める水準を下回り始めた地域とも読めます。多様性が消えるのは、原因ではなく結果かもしれません。
COLUMNガラスに映った脚
その経営者は、とりたててどうということのない地方都市で、ささやかな会社をやっていました。業績は、振るわない。社員たちはみな有資格者で、それぞれに仕事の流儀を持ち、そのこだわりをよく口にしました。ワークフローを見直したらどうか、新しい商品を考えてはどうかと持ちかけても、耳を貸さない。社長の言うことを、そもそも聞こうとしないのです。「まあ、あいつらは腕はいいのだ、仕方がない」。そう言って、彼はどこかで諦めていました。
ある日のことです。いつものように、家の近くのスターバックスでコーヒーを飲んでいた彼は、娘とその友達が、同じ店内にいるのに気づきました。スマホを構えて、インスタグラムのライブ配信をしているらしい。画面の向こうの誰かに向かって、慣れた調子で話しかけている。そのしぐさも、言葉遣いも、まるで東京のそれのように洗練されていて、彼は驚きました。この、なんのとりえもない地方都市の若者が、こんな顔をしていたのか、と。
そして、ふと気づいてしまったのです。冷静に考えたら、うちの社員は、この店にアルバイトの面接に来ても、採用されないのではないか、と。この空間にふさわしくないし、毎月のように出る新作のドリンクをこき下ろして、その作り方すら覚えようとしないだろう。レジの向こうで、あのキャラメルの調合を、スマートに覚えている姿、他の店員と同じような笑顔で楽しそうに接客をしている姿が、どうしても思い描けないのです。
いや、それどころか、と彼は思いました。そもそも客としてすら、あの社員たちは、この空間のどこにも居場所がない、似合わないのだ。その浮いていることにすら気がつかずに、黙ってしかめっ面でコーヒーを飲んでいるところを想像するのが精いっぱいなのだ。そう思ったとき、まるで自分がこの世界の異邦人の様に感じられて世界から色が消えて行った。
その目に映ったのは——サンダル履きの、自分の素足でした。半ズボンからだらしなく投げ出された、たるんだ脚。生白く、いくらかシミの浮いた妙につるつるの脛が、色のない世界の中で妙に生々しく見えている。その向こうには、ガラス越しに、娘たちの、彩り豊かなワンピースが凶悪なまでにまばゆく見えていたのです。
娘はまだ、父親が同じ店にいることに気づいていない。彼は、もう一度だけ、そのガラスに映った自分の足を見ました。そして、そっと座り直し、とうに冷めていたコーヒーを無言で飲み干したのです。
あなたの「悪くない」は、どの物差しで測った「悪くない」ですか。
身の回りの世界の中での位置と、外の広い世界での位置は、同じとは限りません。井戸の中は、外から光が差し込むまで、その深さに気づけない。ときどき井戸の縁まで登って、外の平均線を見てみること——それができるかどうかで、見える景色は変わってきます。
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