自撮りに熱心な人々
「セルフブランディング」が口癖の経営者がいます。自費出版に、SNSの露出。誰も見ていないのに、まるでインタビューに答えるような受け答えをする。けれど、ブランドとは、自分でつくれるものなのでしょうか。ブランドが内側に抱えている価値とは何か——それは結局、他人からの「タグ付け」でしか成立しないのではないか。そんな問いを、ひとつ巡らせてみる読み物です。
SUMMARY誰が、それを呼ぶのか
「セルフブランディング」を口癖にする経営者がいます。自費出版に熱心で、SNSの露出にこだわり、誰に見られているわけでもないのに、まるでインタビューを受けているかのような、整った受け答えをする。本人は、自分という商品を磨き、世に売り出しているつもりです。けれど、その努力の方向には、ひとつ根本的な問いが潜んでいます。ブランドとは、そもそも自分でつくれるものなのでしょうか。
ブランドとは、名前に価値が宿った状態のことです。その価値を認め、名前を口にし、人に勧めるのは——いつも、自分ではなく他人です。
ブランドは、他者のタグ付けで成立する
ある名前がブランドになるのは、それを使った人、出会った人が「これは良い」と感じ、まわりにそう伝えるからです。ブランドの価値は、内側から主張するものではなく、外側から貼られるもの——いわば、他者からのタグ付けによって、はじめて成立します。だとすれば、自分で自分にタグを貼り続ける「セルフブランディング」とは、原理からして、どこか転倒しているのかもしれません。
価値があれば、人は放っておかない
もし本当にブランディングするだけの価値が、その人にあるのなら、まわりは放っておきません。勝手に名前が広まり、勝手に声がかかる。自分で露出を仕掛けて回らなければ伝わらない価値とは、はたしてどれほどの価値でしょうか。ある年齢や職歴の水準に達したとき、本質的に問われるのは、演出ではありません。いま手元にあるもので、何ができるか。それだけです。
COLUMN犬は空を飛ばない
ある経営者の口ぐせは、「セルフブランディング」でした。彼は、自分で本を出しました。書店に頼んで置いてもらった自費出版の一冊を、机の上にうやうやしく飾り、訪ねてくる人ごとに、その背表紙を見せたがる。SNSには、毎日のように、含蓄ありげな言葉を投稿する。誰に問われたわけでもないのに、まるで雑誌のインタビューに答えるような、整いすぎた口調で、自分の半生や哲学を語るのです。
はたから見ていると、彼はいつも、見えないカメラに向かって話しているようでした。レストランで食事をしていても、ふと姿勢を正し、どこかにいるはずの観客を意識した表情をつくる。自分という人物を、一個の商品として磨き上げ、世に売り出しているつもりなのです。本人は、いたって真剣でした。真剣だからこそ、誰も止められませんでした。
けれど、考えてみると、奇妙な話です。ブランドというのは、名前に価値が宿った状態のことを言います。そして、その名前に「価値がある」と認め、人に「あれはいい」と伝えるのは、いつも他人です。自分ではない。ブランドとは、外から貼られるタグであって、内から主張する看板ではないのです。だとすれば、自分で自分にタグを貼り続ける営みは、出発点からして、向きが逆を向いている。
本当に価値のあるものは、放っておかれません。旨い店には、宣伝をせずとも、客が並ぶ。腕のいい職人のもとには、黙っていても、仕事が舞い込む。価値が先にあれば、タグは、それを受け取った人たちが、勝手に貼って、勝手に広めてくれる。逆に言えば、自分で露出を仕掛けて回らなければ伝わらない価値とは、まだ、人が放っておけるほどの大きさしか、持っていないということなのかもしれません。
ある年齢になり、ある職歴を重ねると、人が本当に見るのは、その人の演出ではなくなります。問われるのは、ただ一点。いま、手元にあるもので、何ができるか。どんな仕事を仕上げられるか。誰の役に立てるか。それだけです。立派な肩書きの自費出版も、巧みな自己紹介の言い回しも、その一点の前では、ほとんど何の足しにもなりません。中身は、演出では埋められないからです。
自分を大きく見せることに費やすその時間とエネルギーを、もし、手元の仕事そのものに注いでいたら——と、つい思ってしまいます。タグを自分で書く労力で、タグを貼られるに値する何かを、ひとつでも仕上げていたら。価値が育てば、名前は、放っておいても、人の口から口へと伝わっていく。その順序を取り違えたまま、人は時に、何年も自撮りを続けてしまうのです。
人は迷い、自然は、迷わない。犬が、どれだけ鳥に憧れて翼を広げる真似をしても、空を飛ぶことはありません。きゅうりが、いくら自分はマンゴーだと名乗ってみても、甘い果実に変わることはない。どの種も、生まれついて生るものは、はじめから決まっている。犬は犬として地を駆け、きゅうりはきゅうりとして実を結ぶ。自分が何であるかは、名乗りによってではなく、結ぶ実によって、おのずと知れるのです。飛べない空を見上げて翼の真似をするより、地を駆けることに、犬の値打ちはあります。
あなたは今、不自然なあなたになっていませんか。
価値が育っていれば、名前は他人の口から広がっていきます。自分で名乗り続けなければならないうちは、まだその手前にいるのかもしれません。焦って大きく見せるより、手元にあるもので何ができるかを、ひとつ確かにすること。タグは、それを見た誰かが、いつか貼ってくれます。
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