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「地道な努力」という逃げ

会議の終わりに、結論が「地道な努力を、積み重ねていこう」に落ち着く。よくある光景です。けれど、その地道な努力とは、具体的に何を指しているのでしょうか。インスタでの集客、接遇の改善、社内コミュニケーション、顧客満足度——誰でも思いつく当たり前を、今さらのように口にするとき、それは打つ手が尽きた合図かもしれません。施策の名前を並べる前に、経営者が本当に見るべき、もっと手前の現実とは何か。そこを問う読み物です。

A COMPANY READING ・ その努力は、何を指しているか

SUMMARY

インスタで集客しよう。社内コミュニケーションを活発にして、社員の参加意識を高めよう。接遇を充実させて、顧客満足度を上げよう。会議で、こうした言葉が並びます。どれも、もっともです。けれど、よく考えてみてください。これらは、会社をやっているなら、最初から当たり前にやっているべきことばかりです。もし、できていなかったのなら——なぜ、今までやっていなかったのでしょうか。

そして、もし今までもやっていたのなら、これから具体的に、何をどう積み増すのでしょうか。「もっと地道に」「もっと丁寧に」という言葉に、中身はあるでしょうか。

「地道な努力」は、打つ手が尽きた合図かもしれない

「地道な努力を積み重ねよう」「当たり前のことを当たり前に」。こうした結論は、一見、堅実で誠実に聞こえます。けれど、地道な努力とは、本来、誰もがとうにやっていることです。やって当然のことを、わざわざ会議の結論として掲げなければならないとき、それは、ほかに掲げるべき具体的な一手が、もう見つからなくなっている——その合図なのかもしれません。インスタ集客は、もう誰もがやっています。だから、そこで差はつきません。誰もがやっている領域に、いまさら「もっと地道に」を足しても、得られるものは、思うほど多くありません。

施策の手前に、見るべき現実がある

施策の名前を並べることは、ある意味で、安心できる作業です。何かをやっている気持ちになれる。けれど、もし本当に売上が下がって悩んでいるのなら、その施策を回す前に、経営者として直視すべき、もっと手前の現実があります。日本中の誰もが、人口減少という、誰にも解けない課題を突きつけられている。広い意味で、誰が生き残るのかという、生存の椅子を奪い合う時代に入っています。あなたの会社が商う相手は、これからどう増え、どう減っていくのか。その現実を、あなたは直視できているでしょうか。

施策の名前は、いくらでも挙げられます。けれど、名前を挙げて安心することと、自分の商う相手がこれからどうなるかを直視することは、まるで違う。「地道な努力」という言葉に逃げ込む前に、見るべき手前の現実があります。
この記事は、地道な努力や、接遇・集客といった施策を否定するものではありません。それらは大切で、当然やるべきことです。ここで問うているのは、それらを「結論」として掲げて安心してしまうとき、その手前にある、もっと直視すべき現実から目をそらしていないか——という一点です。

COLUMN

その日は、朝から、三つのクライアントを渡り歩く予定だった。経営コンサルタントというのは、要するに、人が見たくないものを、データと論理で、見よと迫るのが仕事だ。そしてその日も、私は三度、同じひとつの言葉に、行き当たることになる。

最初は、物流業の経営者だった。応接室に通されると、玄関にも、受付にも、しゃれた作りの社内誌が積まれていた。聞けば、毎月何百部も定期的に刷って、営業所にも倉庫にも、あちこちに置いているという。社内コミュニケーションのためだ、と経営者は胸を張った。

私は尋ねた。これを、社員の何割が、最後の頁まで読んでいますか。読んだ社員が何を覚えていたか、確かめた事は。そもそもこれを読んで社内コミュニケーションができたら、どのようなシナジーが生まれるのですか。経営者は、口ごもった。読まれた証も、読まれていない証も、どちらも取ってはいなかった。ただ、冷めた紙の束が、月々、倉庫の隅で古びていく。その製作費と、担当者の人件費を、誰も読んでない紙切れに、もう何年も垂れ流してきたのだ。

次に訪ねたのは、建設会社だった。ここの経営者は、地元のスポーツチームのスポンサーになって、会社の知名度を上げるのだと語った。悪い話ではないように聞こえる。だが、そのチームは、何年も下位に沈んだままの三流で、市民体育館も、グラウンドの席も、半分も埋まらない。むしろ、企業の側が、客を集め、ファンを集めるために金を出している。知名度を上げるはずが、知名度を買い支えている。目的と手段が、さかさまになっていた。

私は、動員数と広告の露出回数のデータを並べて、その本末の転倒を論じた。もうひとつ、言わずにおいたことがある。この経営者は、地元の少年スポーツや、地域の祭りのスポンサーからは、あれこれ理由をつけて逃げ回っていた。その一方で、週に二度か三度はキャバクラに通い、一晩で五万から十五万を、気前よく使う。その請求書は、毎月、社員を二人雇えるに足る額になっていた。地域から逃げる手と、キャバクラに金を落とす手が、同じ一人の中で動いている。その事実を、私はデータの隣に、そっと置いた。

三つめは、ローカルの飲食チェーンの、店長会議だった。私はオブザーバーとして、末席に座っていた。議論は、しばらくして、体裁のよい結論に向かっていった。「地道な活動を積み重ねて、顧客満足度を高めていこう」。誰もがうなずきかけたとき、司会が、私にも意見を求めた。

私は、それまで黙っていた分だけ、はっきりと言った。インスタ、インスタと言うが、店員と社員の友達を声をかけて集めるだけでも、フォロワーは数百にはなるはずだ。それが、数十しかない。身内の友達すら巻き込む気のない活動で、芽が出るはずがない。それから、接遇の満足度を上げると言うが、と私は続けた。今まで、何をやってきたのか。今まで問題意識がなかったのなら、今さら何を上げるつもりか。もとがゼロのものは、丁寧にしてもゼロのままだ。アップデートを図らずに、テーマだけを掲げても、意味がない。

言いながら、私は、自分の声が、どこか虚ろとしているのに気づいていた。迫ることは、いくらでもできる。だが、迫ったところで、その先に提示できる一手が、実は私の手の中にも、そう多くはないのだ。

その日の仕事を終えて、帰りの車に乗った。窓の外を、同じようなロードサイドの景色が、いくつも流れていく。地道な努力というのは、もう、誰もがやっていて、当たり前にそこにあるものだ。それを、いまさら努力として意識しなければならない時点で、もう、半ば負けているのかもしれない。私は、そう思った。

ひと味の工夫が思いつかなくなったとき、その会社にできる努力は、もう、財務内容の改善以外になくなっていることのほうが、多い。それは、冷たい見立てだ。冷たい見立てだが、私は、あの三人の経営者を、見下しているわけではなかった。むしろ、生き残る術を直視せず、お題目のうしろに身を隠してしまうその姿に、ひりひりとした焦りのようなものを感じていたのだ。

そして、その焦りは、車の揺れにまかせているうちに、ちらりと、私自身にも返ってきた。人の「地道な努力」を論じて見せた私は、では、明日、その先の一手を、本当に差し出せるのか。迫る言葉は持っていても、その先を、自分はどれだけ持っているのか。窓に映る自分の顔に、それを問い返してみると、答えは、思ったほど、すぐには出てこなかった。

あなたが最後に「地道に頑張ろう」と言ったとき、その言葉は、具体的な一手の代わりに、置かれていませんでしたか。

地道な努力は、本来、口にするまでもなく、もうやっていることです。それをあえて掲げなければならないとき、私たちは、見つからない一手の空白を、その言葉でそっと埋めているのかもしれません。埋めること自体が悪いのではありません。ただ、埋めたことに気づかないまま、現実を見ずに済ませてしまうことが、いちばん危ない。「地道に」と言いかけたその瞬間に、立ち止まれるかどうか。問われているのは、たぶん、そこです。

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