¥Today 会社の読み物

子供を、抱きしめろ

託児所がない、預け先がない、だから働けない。人手が足りない、だから会社が回らない。少子化で、業績を伸ばす道が細っていく。みんなが、そう困っています。けれど、その解決の糸口は、案外すぐ手の届くところにあるのかもしれません。街の個人商店では、いまも子供や祖父母を交えた小さな社会が、店先に当たり前のように完成しています。会社が子供や近隣にドアを閉ざすとき、本当に閉ざしているのは、自分自身の世界のほうではないか——そんな問いを立ててみる読み物です。

A COMPANY READING ・ ドアを閉ざすと、世界も閉じる

SUMMARY

街の片隅の菓子店や、小さな個人商店では、いまもときどき見かけます。子供を連れて店番をする親や、孫と一緒に留守番をする祖父母。働く人の子供たちも交じって、その一角に、ひとつの小さな社会ができあがっている。和気あいあいとした、平和で幸せそうなその空気にあずかろうとして、客のほうも、つい笑顔で扉を開けます。人が集まる店には、たいてい、こうした景色があります。

一方で、チェーンでもないのに、子供や家族の出入りを一切受け付けず、まるで大手チェーンのような顔で営業している個人店も、いまや多数派です。そこまでして閉ざすことに、本当に意味があるのでしょうか。

「できない理由」は、本物の危険か

あの平和で幸せそうな店と、同じことができない理由とは、何でしょうか。もちろん、刃物や火や機械を扱う現場のように、子供がいては本当に危ない仕事はあります。けれど、そうでない多くの仕事は、子供がそこにいて、本当に困るのでしょうか。「うちは無理だ」と閉ざすとき、その理由は、本物の危険なのか、それとも、ただ周りと同じ顔をしていたいだけなのか。そこを、一度分けて考えてみる値打ちはあります。

子供に見せられない仕事を、していないか

ドアを子供や近隣に閉ざすとき、会社は、外から見られることを拒んでいます。けれど、見られて困るような仕事を、そもそもしていないでしょうか。「ここに来る子供たちに見せられないような仕事はするな」——そう言い切れる会社は、子供にドアを開けても、何も困らない。子供に開けたドアは、自分の仕事を堂々と見せられるかどうかの、いちばん正直な試金石になります。ドアを閉ざすことで、会社は外の世界を締め出しているつもりで、その実、自分自身の世界のほうを、狭く閉じているのかもしれません。

預け先がない日に一緒に出てきた子供。熱を出しても気兼ねなく休める親。そうやって会社を生活の場として育った親子が、いつか、あなたの会社をいちばん裏切らない人になる。最も忠実なファンも社員も、案外、そういう景色の中から育ってきます。
この記事は、すべての職場に子供を入れよ、と言うものではありません。危険を伴う現場で線を引くのは当然です。ここで問うているのは、その線が、本物の危険によるものか、ただの横並びによるものか——という一点です。そして、子供を受け入れられる会社が受け入れることで、その会社は社会的課題を一つ、解決しているのです。

COLUMN

私は、四十年、この会社をやってきた。その四十年のあいだ、週に一度は、社員を家族ごと自宅に招いて、鍋を囲み、肉を焼いてきた。始めたときは若い社員が数人だったのが、いつの間にか、その連れ合いや、そのまた子どもたちで、座敷が手狭になった。私は、その顔ぶれを、ひとりのこらず覚えている。誰の子が去年いくつで、今年いくつになったか、空で言える。

正月になれば、挨拶に来る社員とその子供で、玄関がひっきりなしになる。お年玉だけで、私の財布から何十万と飛んでいく。それでも、惜しいと思ったことは一度もない。去年までランドセルを背負っていた小さな手が、今年は中学の制服を着て、もじもじと頭を下げる。その背がまた伸びたな、と気づく。それを毎年くりかえし数えることが、私には、何よりの楽しみだった。大学へ進んで挨拶に来なくなる年は、正直、寂しくてたまらない。

妻が、そのまんなかにいた。台所と座敷を何十往復もして、鍋のだしを足し、泣き出した赤ん坊をあやし、働きづめの社員の肩を叩いて笑う。社員の子供たちは、私より、妻のほうに先になついた。「おばちゃん、おばちゃん」と呼ばれて台所に立つその背中が、この家の、そしてこの会社の、本当のまんなかだったのだと、いまになって思う。私が四十年かけて意識して育ててきたつもりの「みんな」は、その実、あの台所の湯気の中から、ひとりでに立ちのぼってきたのかもしれない。

私が社員に言い続けてきたことは、ひとつだけだ。「ここに遊びに来る子供たちに、見せられないような仕事は、一切するな」。むずかしい理屈は、何もいらない。あの子らの目に、胸を張って見せられる仕事をしているか。それだけを物差しにすれば、会社はそうそう、道を踏み外さない。あの鍋の座敷に集う顔ぶれこそが、私の会社の、いちばん確かなものだった。どんなに苦しいときも、こうして育った社員とその家族は、一度も私を裏切らなかった。その事実だけは、どんな数字よりも、私が誇れるものだ。

ただ、ひとつだけ、心残りがあった。息子のことだ。あれは、私のやり方を、ずっと嫌っていた。ワンマンだ、強引だ、と。家を出ていったきり、長いこと、寄りつかなかった。私は、それを、自分の至らなさとして、胸の奥にしまっていた。

* * *

私は、父が嫌いだった。ワンマンで、強引で、自分の決めたことは絶対だと思っている。その独善的なところが、どうしても受け入れられなかった。大学進学を口実に、私は逃げるように家を出た。遠くの街でひとり暮らして、やっと息がつけた気がしたものだ。父と、もう二度と同じ屋根の下では暮らせない。そう思っていた。

ただ、ひとつだけ、はっきりさせておきたいことがある。私が嫌っていたのは、あくまで父という一人の人間の、その押しの強さだけだ。「みんな」のことは、嫌っていない。いや、好きとか、嫌いとか、そういう話ですら、なかった。私にとって「みんな」は、生まれたときから、そこにあったものだ。自分の腕や足のように、あるのが当たり前で、いちいち意識もしない。週末の鍋で魚の骨を取ってくれた古参の社員。私の宿題をのぞき込んでは口を出してきた、台所に立つ母。年の近い社員の子どもたちとは、兄弟のように、取っ組み合って育った。それらは、私にとって、風景でも思い出でもない。ただ、そこにあった。手を伸ばせば触れられる距離に、ずっとあった。

その、兄弟同然に育った社員の息子が、大学を出て、迷うことなく父の会社に入った、と人づてに聞いたとき、私の中で、何かが動いた。うまくは言えない。ただ、あいつがあそこにいて、自分だけがいないというのは、どうにも収まりが悪い、と思ってしまったのだ。腕が一本、足りないまま生きているような、そういう、座りの悪さだった。

父と和解したわけではない。独善的なあの人は、いまも苦手のままだ。それでも、私は戻った。「みんな」が、私の体の一部だったからだ。欠けたら、自分が成り立たない。それだけのことだった。好きだからでも、誇りからでもない。ただ、そこに戻らなければ、この先の自分が、うまく息をできない気がしたのだ。理屈ではなかった。気づいたら、帰る支度をしていた。

いま、私は、あの鍋の座敷を、次の世代へ繋ぐ側に回っている。毎週、肉を焼き、子どもたちの背が伸びるのを数えている。あれほど嫌っていた父のあの口癖を、いまは私が、同じ言葉で社員に言う。ここに来る子供たちに見せられない仕事は、するな、と。自分の口から、それが自分の言葉として出てくるたび、少しおかしくなる。「みんな」は、やはり、いまもうまく言葉にできない。好きとか、大事だとか、そういう言葉は、どうもしっくりこない。ただ、鍋の湯気の向こうで赤ん坊をあやしていた母の背中を、いま自分が同じように見ていると気づくとき、私は、ここに戻ってきてよかったのだと、それだけは、はっきりとわかるのだ。

あなたの会社が子供にドアを閉ざす理由は、本物の危険ですか。それとも、ただの横並びですか。

もちろん、工事の現場や、危険な機械を扱う会社では、子供を入れられないのは当然です。けれど、考えてみてください。託児施設や保育園とは、本来、そうした「どうしても受け入れられない会社」のために、そうではない会社の人々が場所を譲り合って、はじめて足りるものではないでしょうか。受け入れられる会社が受け入れれば、その枠は、本当に必要としている人へ回っていきます。誰かを抱きしめて、そのそばに置くこと。その小さな度量の積み重ねが、巡り巡って、いつかあなた自身が誰かに抱きしめてもらえる社会を、つくっていくのかもしれません。

提供:¥Today

← 会社の読み物の一覧へ | ¥Today トップへ