千葉興業銀行——「もう一行ほしい」から生まれた銀行は、いま千葉銀行と一つになる
預貸率84.1%、預金2.9兆円、店舗74。千葉市に本店を置く千葉興業銀行。戦後、地元商工業者の「地元銀行をもう一行」という声から生まれた地方銀行が、2027年4月にライバル千葉銀行と統合し「ちばフィナンシャルグループ」になる。その数字と歴史を読む。
千葉県千葉市美浜区に、千葉興業銀行の本店はある。地元では「ちば興銀(こうぎん)」、あるいは単に「興銀」と呼ばれる地方銀行だ。同じ千葉市には、県内貸出シェア4割を握る大手地銀・千葉銀行がある。県を代表する巨大地銀のとなりで、もう一つの地銀として歩んできたのが、この千葉興業銀行である。
千葉県は、首都圏の一角として人口の流入が続く、活力ある土地だ。成田国際空港を抱え、農業から工業、商業、サービス業まで、バランスよく産業がそろう。その豊かな市場で、千葉銀行と千葉興業銀行という二つの地銀が、長く並び立ってきた。
この銀行には、生まれの物語がある。「千葉にもう一つ、地元のための銀行がほしい」という、戦後の商工業者たちの願いから生まれたのだ。そして2025年、その二つの地銀が、競い合う関係から、一つになる道へと進み始めた。生まれの願いと、いまの再編。その両方を、数字とともに読みにいく。
数字を並べてみる
まず、絶対値から。千葉興業銀行の預金は2兆8,795億円、貸出金は2兆4,203億円。預貸率は84.1%で、預金の8割を超える額を貸出に回している。自己資本比率は9.18%、不良債権比率は1.67%。店舗数は74、中小企業等への貸出残高は2兆1,154億円にのぼる。
目を引くのは、預貸率84.1%という高さだ。同じ千葉県の大手・千葉銀行の81.3%をも上回る。集めた預金の8割以上を貸出に回しているということで、運用に逃げず、地元に貸す姿勢がはっきり表れている。中小企業等向け貸出残高が貸出金の大半を占めることからも、地元の中小事業者を主な相手にしてきたことがうかがえる。
| 千葉興業銀行 | 千葉銀行 | |
|---|---|---|
| 種別 | 地方銀行 | 地方銀行 |
| 預金 | 28,795億円 | 162,687億円 |
| 貸出金 | 24,203億円 | 132,333億円 |
| 預貸率 | 84.1% | 81.3% |
| 自己資本比率 | 9.18% | 14.14% |
規模では、県を代表する大手・千葉銀行が5倍以上の預金量を持つ。だが預貸率では、千葉興業銀行のほうがやや高い。県内3番手の地銀として、中小密着でよく貸してきた姿が見てとれる。この二行が、2027年に一つになる。
「地元銀行を、もう一行」——戦後に生まれた願い
千葉興業銀行が生まれたのは、戦後まもない1952年(昭和27年)のことだ。その背景には、当時の千葉県の事情があった。
第二次世界大戦後、連合国軍の占領下で進められた財政金融の引き締め政策——いわゆるドッジ・ラインによって、国内の中小企業は深刻な資金不足に陥った。千葉県でもその状況は厳しく、地元の商工業者は資金繰りに苦しんだ。当時、千葉銀行や、県内に支店を構えた都市銀行は、地元で集めた預金を県内に十分には還流させず、東京の大企業への貸出に回す傾向があったと伝えられる。地元で集めた金が、地元の中小には十分に回ってこない。そうした不満から、県内の商工業者のあいだに「地元のための銀行を、もう一行つくってほしい」という声が、日に日に高まっていった。
時の大蔵大臣・池田勇人が、一県一行を原則とする方針をやわらげ、場合によっては新しい銀行の設立を認める姿勢を示した。これを受けて、地元選出の国会議員や、当時の千葉銀の経営陣と袂を分かった九十八銀行出身の元千葉銀役員らが中心となり、1952年1月、戦後生まれの地方銀行として千葉興業銀行が設立された。県を代表する大手のとなりに、「中小のためのもう一行」として生まれた——その出自が、その後の中小密着の経営の原点になっている。
苦境を越えて——公的資金と、みずほからの自立
千葉興業銀行の歩みは、平坦ではなかった。2000年(平成12年)、金融当局の検査を機に不良債権の処理を進めた結果、自己資本比率が大きく低下し、早期に是正するよう求められる事態に至った。経営の立て直しのため、当時の富士銀行(のちのみずほ銀行)などからの増資を受け、富士銀の系列に入った。その後、公的資金として注入された600億円を、2014年に一括して完済している。
そして時を経て、千葉興業銀行は、みずほからの自立に向かった。2023年、みずほ銀行が保有していた千葉興業銀行の株式の一部を売却し、千葉興業銀行はみずほの持分法適用会社から外れた。大手銀行グループの傘から出て、ふたたび独立した地域金融機関としての立ち位置に戻ったのである。苦境を公的資金と大手の支援で乗り越え、それを返し終えて自立する——その歩みは、地方銀行が歩んできた一つの典型でもある。
競い合った二行が、一つになる——「ちばフィナンシャルグループ」へ
そして2025年、千葉興業銀行の歴史に、大きな転機が訪れた。長年、同じ千葉で並び立ってきた千葉銀行との経営統合である。
布石は同年春に置かれた。2025年3月、千葉銀行が投資ファンドから千葉興業銀行の株式19.9%を取得した。そして2025年9月29日、両行は2027年4月をめどに経営統合することで基本合意したと発表した。共同で株式移転を行って持株会社を設立し、両行がその傘下に入る形である。持株会社の名は「ちばフィナンシャルグループ」とする方針で、社長には千葉銀行の頭取が就く見通しとされる。統合後の連結総資産は単純合算で25兆円規模に迫り、地銀グループとして国内有数の規模になると報じられている。
注目すべきは、その統合のかたちだ。両行は記者会見で、「人員削減や店舗の統廃合を進める考えはない」とし、両行をそのまま併存させる方針を示したと伝えられる。一方を他方に吸収して消すのではなく、二つの銀行とその二つの看板を残したまま、持株会社のもとで束ねる。「地元のためにもう一行」という願いから生まれた銀行が、その名と看板を残したまま、かつてのライバルと一つのグループになる——千葉という同じ土地への思いが、競争から協調へと形を変えた一幕として読める。
84.1%を、千葉という土地から読む
千葉興業銀行の預貸率84.1%は、地方銀行のなかでもよく貸す部類に入る。同じ県の大手・千葉銀行をも上回るこの数字の背景には、二つの事情があると読める。
一つは、千葉という成長市場だ。首都圏の一角として人口が流入し続ける千葉では、住宅ローンも、企業の設備投資も、資金需要が旺盛だ。貸す相手が豊富にいる土地であることが、高い預貸率を支えている。もう一つは、「中小のためのもう一行」という出自だ。県を代表する大手とは別に、地元の中小事業者に貸すために生まれた銀行として、規模では及ばずとも、貸出に積極的な姿勢を保ってきた。中小企業等向け貸出残高が貸出金の大半を占めることが、その性格をよく表している。預貸率という数字をどう読むかについては、預貸率の読み方もあわせてどうぞ。
千葉の経済とともに
千葉興業銀行の数字は、人口流入の続く成長市場・千葉という土地と、「地元のためにもう一行」という出自から続く中小密着の伝統の、両方を映している。戦後の商工業者の願いから生まれ、苦境を公的資金と大手の支援で越え、自立を果たし、いまふたたび、かつてのライバルと一つのグループになろうとしている。その看板は、統合後も残る見通しだ。
銀行の数字は、その土地の経済と再編の歴史を映す鏡だ。千葉興業銀行を見れば、成長する千葉という土地と、人口減と向き合う地方銀行が進める再編の動きが、一つの銀行のなかに重なって見える。統合の相手である大手地銀の姿は、千葉銀行の記事もあわせてどうぞ。千葉県の他の金融機関と並べて眺めたい方は、千葉県の地域金融機関のページへ。
執筆・監修:燧徹史(¥Today 編集責任者)
出典:預金・貸出金・預貸率・自己資本比率・不良債権比率・中小企業等向け貸出残高・店舗数=金融庁「中小・地域金融機関情報一覧」令和7年3月末(預貸率は貸出金÷預金で算出)。千葉銀行の数値も同出典。
沿革(戦後のドッジ・ラインによる中小企業の資金不足、千葉銀行や都市銀行が県内預金を東京の大企業向け貸出に回す傾向があったとされること、地元商工業者の「地元銀行をもう一行」という声、池田勇人蔵相による一県一行主義の修正方針、九十八銀行出身の元千葉銀役員らの関与、1952年の設立)に関する記述=千葉興業銀行および各種公開情報にもとづく。
経営の経緯(2000年の不良債権処理と自己資本比率の低下・早期是正措置、富士銀行〔のちのみずほ銀行〕系列入り、公的資金600億円の2014年の一括完済、2023年にみずほ銀行が株式の一部を売却し持分法適用会社から外れたこと)に関する記述=千葉興業銀行の開示および各種報道にもとづく。
千葉銀行との経営統合(2025年3月の千葉銀行による株式19.9%取得、2025年9月29日の経営統合に関する基本合意、2027年4月めどの持株会社設立、持株会社名を「ちばフィナンシャルグループ」とする方針、千葉銀行頭取が社長に就く見通し、統合後の連結総資産が単純合算で約25兆円規模となること、人員削減・店舗統廃合を進めず両行を併存させる方針)に関する記述=両行の開示および各種報道にもとづく。
千葉県の経済(人口流入、成田国際空港、産業構成)に関する記述=各種公開情報。