筑波銀行——一度破談した二行が「2度目の正直」で結んだ地銀
預貸率80.3%、自己資本比率9.37%、不良債権比率2.72%。2010年、一度破談した茨城銀行と関東つくば銀行が再び合併して生まれた茨城2番手の地銀。震災で公的資金を背負った銀行の数字を読む。
茨城県は、首都圏の一角を占めながら、農業産出額で全国上位に位置する県だ。つくばの研究学園都市、鹿島の臨海工業地帯、そして広い平野に広がる農地。多様な顔を持つこの県には、地方銀行が二つある。県のトップバンクである常陽銀行と、2番手の筑波銀行——「つくばぎんこう」だ。本店を土浦市に、本部をつくば市に置く。
この銀行の誕生には、ひとひねりある物語がある。二つの銀行が合併して生まれたのだが、その合併は一度、破談している。決裂を経て、和解し、もう一度結ばれた——いわば「2度目の正直」で生まれた銀行なのだ。その歴史と数字を読みにいく。
数字を並べてみる
まず、絶対値から。筑波銀行の預金は2兆6,343億円、貸出金は2兆1,160億円。預貸率は80.3%で、預金の8割を貸出に回している。自己資本比率は9.37%、不良債権比率は2.72%。店舗数は148、中小企業等への貸出先は約9万4千件にのぼる。茨城県のトップバンク・常陽銀行に次ぐ、県2番手の地銀である。
注目すべきは、預貸率80.3%という高さだ。県2番手の地銀が、預金の8割を貸出に回している。首都圏の一角という地盤の強さが、この数字を支えている。
「2度目の正直」で生まれた銀行
筑波銀行の母体は、茨城銀行と関東つくば銀行という二つの銀行だ。茨城銀行は1921年(大正10年)の茨城無尽を始まりとする第二地銀で、水戸を地盤とした。関東つくば銀行は、戦後地銀の関東銀行が第二地銀のつくば銀行を吸収して2003年に生まれた銀行で、土浦を地盤とした。茨城県南西部と県央——異なる地盤を持つ二行である。
この二行は、2006年に合併して「ひたちの銀行」となる予定だった。ところが、合併の条件(営業権の扱い)をめぐって意見が折り合わず、合併は直前で見送られた。一度は破談したのである。その後、合併中止で生じた損害をめぐる対立も経て、両行は和解にいたる。そして2009年に再び合併で合意し、2010年3月、ついに合併して筑波銀行が発足した。新しい行名は、関東を代表する霊峰であり、研究学園都市の名としても知られる「筑波」とされた。一度は壊れた縁が、和解を経て結び直された——その歩みが、いまの筑波銀行の土台にある。
震災を越え、首都圏に貸す
筑波銀行の歩みには、試練もあった。合併の翌年、2011年に東日本大震災が起きた。茨城県も大きな被害を受け、復興のための資金需要が高まった。筑波銀行は、震災復興支援と財務基盤の強化のため、金融機能強化法に基づく公的資金の注入を受けた。地域経済を支えるという、地方銀行の役割を強く担うことになったのである。
預貸率80.3%という高い数字は、筑波銀行が貸出に積極的であることを示す。茨城県は首都圏の一角であり、人口も産業も一定の厚みがある。研究学園都市、臨海工業地帯、そして広い農地——多様な産業を抱える土地が、よく貸せる土台になっている。預貸率という数字をどう読むかについては、預貸率の読み方もあわせてどうぞ。
茨城の経済とともに
筑波銀行の数字は、首都圏の一角・茨城県を、県2番手の立場でよく貸して支える姿を映している。一度破談した二行が和解を経て結ばれ、震災を越えて公的資金を背負いながら、地域経済を支えてきた。霊峰・筑波の名を冠したこの銀行は、波乱を経て、いまも茨城の経済とともにある。
銀行の数字は、その土地の経済と再編の歴史を映す鏡だ。筑波銀行を見れば、研究学園都市と農地が共存する茨城の姿が浮かぶ。預貸率という数字の読み方については、預貸率の読み方もあわせてどうぞ。茨城県の他の金融機関と並べて眺めたい方は、茨城県の地域金融機関のページへ。
執筆・監修:燧徹史(¥Today 編集責任者)
出典:預金・貸出金・預貸率・自己資本比率・不良債権比率・中小企業等向け貸出先件数・店舗数=金融庁「中小・地域金融機関情報一覧」令和7年3月末。
沿革(茨城銀行・関東つくば銀行・2006年「ひたちの銀行」破談・2010年3月合併・2011年公的資金注入)=筑波銀行公開情報、各種報道、各種公開情報。
茨城県の産業(研究学園都市・臨海工業・農業)に関する記述=各種公開情報。