負債とは、時間を借りることだ——経営に求められる「速度」の話
借入をするとき、経営者は「お金を借りた」と思っています。けれど、本当に借りているのは、お金ではありません。時間です。何年分を借り、何年で返すのか。現状を保つには、どれだけの速さで走ればいいのか。前より良くなるには、どこまで加速すればいいのか。そして、同じ借金を投じるなら、その投資先として、自社と金融商品の、どちらが正しいのか。負債の重さは、金額ではなく、速度で測ったときに、はじめて正体を現します。
その借入は、「何年分」なのか
負債を、金額のまま眺めていると、その重さは分かりません。二千万円は二千万円で、大きいような、何とかなるような、漠然とした塊にしか見えない。この塊の正体を掴むには、金額を、自社の「一年」で割ってみる必要があります。
たとえば、経常利益が年に四百万円の会社があるとします。この会社にとっての「一年分の稼ぎ」を、物差しの一目盛り――ウェイト一、としましょう。ここで二千万円を借りると、それは四百万円の五年分に当たります。金額でいえば二千万円。けれど、自社の時間でいえば、五年分。この借入は、五年という時間の塊なのだ、と見えてきます。
問題は、この五年分を、たとえば三年で返すと約束したときに起きます。二千万円を三年で返すなら、元金だけで年に六百六十万円余り。もともとの経常利益が四百万円の会社にとって、これは一年分の稼ぎ――ウェイト一――を軽く超える負担です。おおよそ、ウェイト一・七ほどが、毎年、返済のためだけにのし掛かる計算になります。
二つの「最低速度」——維持の一・七、成長の二・七
ここから、二つの速度が見えてきます。
一つめは、現状を維持するための最低速度です。年に六百六十万円を返しながら、それでも手元の富を減らさずにいるには、これまでの約一・七倍の速さで走れればいい。一・七倍速なら、返済をこなしても、少なくとも現状は保てる。逆に言えば、これを下回ると、返した分だけ、手持ちの富は確実に目減りしていきます。ここに例外はありません。一・七に届かなければ、必ず、そうなります。
二つめは、前より良い会社になるための最低速度です。これが、二・七倍速です。事業を回す「一」に、返済の「一・七」を上乗せした「二・七」で走りきり、しかも完済したあともそのペースを保てたなら、その会社は、借りる前より確かに良くなっています。時間を先取りして、成長に変えられたわけです。
数字は、あくまで考え方を掴むための一例です。けれど、二つの線が引けたことが大事です。一・七を割れば目減りし、二・七を超えて初めて前進する。借入とは、この二本の線の上を走る、ということだったのです。借りたのはお金ではなく、この速度で走らねばならない時間だったわけです。
その借金、投資先は「自社」で正しいのか
ここで、多くの人が目をそむける話をします。借金をして、その資金をどこかに投じる。事業を膨らませるというのは、要するに、借りたお金を「自社」という投資先に張る、ということです。ならば、投資家として、当然の問いが立つはずです。その同じ借金を、自社に張るのと、ほかの投資先に張るのと、どちらが正しいのか。
もし、自社が二・七倍速で走れる見込みがないのなら――取ったリスクに、見返りが合っていないのなら――投資先としての自社は、あまり良い選択ではありません。たとえば、利回り七パーセントの手堅い金融商品という投資先があるとします。同じお金を、二・七で走れるか怪しい自社に注ぎ込むのと、その金融商品を買って返済は淡々とこなすのと。後者のほうが、リスクは小さく、リターンは確かです。二・七で走れないのに自社に張るのは、投資先の選定を、はっきりと誤っているということにほかなりません。
この理屈に対して、「金融商品にだってリスクはある」と言い立てる人は、確かにいます。けれど、冷静に考えてみてください。上場し、監査を経て、市場でその金融商品を流通させている会社は、あらゆる意味で、非上場の中小企業であるあなたの会社より安全だと、あなた以外のほぼ全員が見ています。それが、市場の値付けというものです。それでもなお自社という投資先のほうが確かだと感じるのは、たいてい、自社だけを特別扱いする心の錯覚です。同じ借金の投資先として、自社と金融商品のどちらが正しいのか。この問いに、あなたは、数字で答えられるでしょうか。
速度が足りないと、どうなるか
では、二・七を期待して借りたのに、実際にはたとえば一・五ほどでしか走れなかったら、どうなるのか。
厄介なのは、それでも以前の一よりは速く走れているものだから、「うまくいっている」と感じてしまうことです。手応えがある分、かえって始末が悪い。けれど、そもそも維持に必要な一・七にすら届いていない以上、返した分だけ、手元の富は減っている。そして帳簿の上では、期待した二・七との差が、目に見えないところで、着実に積み上がっていきます。
その積み残しは、必ず、あとから形を変えて現れます。たとえば――負債を抱えた緊張感で、どうにか絞り出したその速度を、完済したあとも、本当に維持できるでしょうか。走りきった疲れ、先送りにした設備の更新、すり減った現場。そうしたいろいろな要素が、遅かれ早かれ、あとからのし掛かってくるのです。
その結果、何が起きるか。派手な倒産ではありません。数年後、同じ時期に二・七で走りきった会社や、そもそも無理な借入をせず、一を大切にして地道に内部留保を積み上げてきた会社と、横に並べてみる。すると、借りて加速したはずの会社は、なぜか、パッとしない、どこか見劣りのする会社になっている。飛び抜けたはずが、抜け出せていない。そこにあるのは、ただ、冴えない一社です。そして、そこから状況は、じわじわと悪くなっていきます。
この差は、どこから生まれるのか。根っこには、三つの甘さがあります。一つは、一・五と二・七の区別がついていない、という判断の甘さ。自分がいま実際にどの速度で走れているのかを、正しく読めていない。二つは、二・七では走れないと、自分の組織を見切れなかった、という能力の欠如。借りる前に、自社の実力を冷静に値踏みできなかった。そして三つは、見切ったうえで、なお冒険に出てしまった、という甘さです。「一を大切にして内部留保を積む会社のほうが、結局は潰れない」という世間の評価は、厳然としてあります。それを承知のうえで、あえて賭けに出た。
なぜ、みな気づかないまま沈むのか
それにしても、これほど単純な理屈が、なぜ、多くの経営者に見えないのか。理由は、皮肉なことに、すぐには潰れないからです。
経常利益四百万円の会社が二千万円を借りても、大抵の場合、翌月に倒れたりはしません。一・七に届いていなくても、しばらくは回ってしまう。危機的な結果に至るまでには、何年もかかります。しかも、その何年かの間には、返済が苦しくなれば、また次の借入――追い貸し――を受けられることも、珍しくありません。穴を、別の穴で埋められてしまう。
この「すぐには痛まない」という性質が、最も質が悪い。速度が足りていないという警告灯は、灯っているのに、体感としては何も起きない。だから人は、本質を理解しないまま、また少し借り、また少し借り、と続けてしまう。急な崖から落ちるのではなく、ゆるやかな坂を、気づかないうちに、ずるずると泥沼のほうへ下っていく。振り返ったときには、もう戻れないところまで来ています。
別の稿で、頭を下げる屈辱を避けたいがために、その場しのぎの借金で問題を先送りしてしまう心理について書きました。あれが心の話だとすれば、こちらは数字の話です。心が屈辱から逃げ、数字が速度の警告を鈍らせる。この二つが重なったとき、坂道の傾斜は、最もきつくなります。
経営に求められるのは、借りる前の計算だ
負債そのものは、善でも悪でもありません。借金は悪い、無借金が偉い、という話でもない。負債は、正しく理解して使えば、時間を先取りして事業を伸ばす、強力な道具です。問題は、その道具の重さを、金額だけで測って、時間と速度で測っていないことにあります。
だから、経営に求められることは、明確です。借りる前に、計算することです。この借入は、自社の何年分か。何年で返すのか。維持に要る速度は、成長に要る速度は、いくつか。自分たちは、その速度まで、具体的な見通しをもって加速できるのか。二・七に届かないなら、その借入は見送るか、規模を落とす。あるいは、その同じお金を投じる先として、自社が本当に正しい投資先なのかを、正面から問い直す。この計算を、借りたあとにではなく、借りる前に済ませておくこと。
二千万円という金額を見て「何とかなる」と思うのではなく、一・七、二・七という速度を見て「これで走れるか」と自分に問う。走れないなら、一を大切にして、着実に積むという道も、立派な経営です。負債を、金額ではなく時間として捉え直せた経営者だけが、この道具を、滅びの入り口ではなく、成長の梃子として使えます。借りているのは、お金ではなく、時間なのですから。
執筆・監修:燧徹史(¥Today 編集責任者)
本サイトは、資金繰り支援サービス「¥Today」が運営しています。