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四国銀行——「不正したら切腹」血判状を至宝とする、土佐のトップバンク

預貸率71.2%、自己資本比率8.64%、不良債権比率2.46%。1878年創業、高知県最大の地方銀行「四銀」。「不正をしたら切腹」と誓った血判状を至宝とし、広い店舗網を持つ土佐のトップバンクの数字と歴史を読む。

ニホン銀行紀行 ・ 高知県

このシリーズでは以前、高知信用金庫という「預金の9割を貸さない」金融機関を取り上げた。預貸率9.3%。集めた預金のほとんどを運用に回し、貸出にはあまり向かわない、特異な信用金庫だった。だが、高知県の金融機関がみな貸さないわけではない。同じ高知市に本店を置く県のトップバンク、四国銀行——通称「四銀(しぎん)」は、預金の7割を貸出に回している。

高知県は、太平洋に開かれた土佐の国だ。森林が県土の大半を占め、カツオやマグロの漁業、ユズやナスといった園芸農業、そして観光が県経済を支える。人口減少が早くから進んだ土地でもある。その県の金融の中心を、四国銀行は長く担ってきた。

この銀行には、一つ、他に類を見ない逸話がある。前身の銀行が、明治の時代に「不正をしたら切腹する」と誓った血判状を作り、それを今も「至宝」として伝えているのだ。その話から、土佐の銀行の歴史と数字を読みにいく。

数字を並べてみる

まず、絶対値から。四国銀行の預金は2兆9,522億円、貸出金は2兆1,030億円。預貸率は71.2%で、預金の7割ほどを貸出に回している。自己資本比率は8.64%、不良債権比率は2.46%。店舗数は104、中小企業等への貸出先は約8万2千件にのぼる。高知県内最大の金融機関である。

四国銀行の大きな特徴は、その広い店舗網にある。地盤の高知県を中心に、四国全域、瀬戸内、関西圏、そして東京都にも店舗を構えている。これは地方銀行のなかでも有数の広域なものだ。人口が減る高知県だけに頼らず、県外にも貸し先を求める——その姿勢が、店舗網の広さに表れている。

高知県内の主な普通銀行(2025年3月期)
 四国銀行高知銀行
種別地方銀行第二地方銀行
預金29,522億円9,997億円
貸出金21,030億円7,489億円
預貸率71.2%74.9%
自己資本比率8.64%8.82%

高知県には、地方銀行の四国銀行と、第二地方銀行の高知銀行がある。規模では四国銀行が上回るが、預貸率は高知銀行のほうがやや高い。二行が県の金融を支えている。

「不正をしたら切腹する」——血判状という至宝

四国銀行の歴史を語るうえで、外せない逸話がある。本店に伝わる一通の血判状(けっぱんじょう)だ。作られたのは1886年(明治19年)3月22日。まだ四国銀行が第三十七国立銀行だった時代のことである。

そこには、こう誓われている。銀行の金を盗用した者、あるいは人にそそのかして盗ませた者は、私財をすべて投げ打って弁償し、そのうえで自刃(切腹)する——と。三浦頭取をはじめ、全従業員23人が連署し、その名の下に、一人ひとりが指を切って血の判を押した。横約150センチ、縦約35センチの紙に、赤黒い血判が並ぶ。取引の不正に対して、命をもって責任を取るという、すさまじい覚悟の表明である。四国銀行は、これを「至宝」として大切に伝えてきた。

なぜ、銀行員がここまでの誓いを立てたのか。第三十七国立銀行は1878年、高知市で開業したが、その役員5人のうち4人が士族だった。明治に入って設立された国立銀行の多くは、禄を失った士族が中心となって作ったもので、武士の気質がまだ色濃く残っていた。とりわけ土佐は、幕末に尊皇攘夷運動を担った気骨の土地柄だ。不正は社会にとっても自分たちにとっても敵であり、盟約を結んで命を懸けて守る——そうした言葉が、血判とともに記されている。背景には、作成の前年に純利益が減り、役員賞与が創業以来初めてゼロになるという厳しい経営状況もあった。緩みかねない時こそ、覚悟を形にして引き締めたのだろう。

この血判状は長く倉庫に眠っていたが、2024年以降、金融機関による貸金庫の盗難など不祥事が相次ぐなかで、その存在がSNSで注目を集めた。「これくらいの責任感を銀行に期待したい」という声が広がり、2025年6月、高知県立高知城歴史博物館で初めて一般公開されることになった。140年近く前の覚悟が、いまの時代に問いを投げかけている。

安田財閥とともに歩んだ歴史

四国銀行の歴史は古い。源流は1878年(明治11年)、高知県で創業した第三十七国立銀行にさかのぼる。土佐は、幕末に坂本龍馬や岩崎弥太郎(三菱の創業者)を生んだ土地であり、進取の気性に富む商人が育った土壌でもあった。

1907年、日露戦争後の反動恐慌のなか、四国銀行の前身は安田銀行(のちの富士銀行、現在のみずほ銀行)に支援を求め、安田財閥の系列に入った。1923年には土佐銀行を合併し、現在の四国銀行という社名になった。昭和の一県一行主義のもとで県内の銀行を集約し、高知県を代表する地方銀行へと成長していった。恐慌を財閥の支援で乗り越え、合併を重ねて県のトップバンクになった——その歩みが、いまの四国銀行の基盤をなしている。

人口減の土地で、県外にも貸す

四国銀行の預貸率71.2%は、地方銀行として標準的な水準だ。よく貸す伊予銀行(90.2%)ほどではないが、運用に偏るわけでもない。この数字の背景には、高知県という土地の事情がある。

高知県は、全国でも早くから人口減少が進んだ県だ。県内だけで貸し先を増やすのには限りがある。だからこそ四国銀行は、四国の他県や関西、東京にまで店舗網を広げ、県外にも貸し先を求めてきた。地盤の高知をしっかり押さえつつ、人口の多い都市部にも展開する。この広域戦略が、人口減の土地にありながら一定の預貸率を保つことを可能にしている。

預貸率という数字をどう読むかについては、預貸率の読み方もあわせてどうぞ。同じ高知県でも、預貸率9.3%の高知信用金庫と71.2%の四国銀行とでは、まるで性格が違う。なぜその数字になるのか、土地と金融機関の事情まで読みにいくことで、はじめて意味が見えてくる。

土佐の経済とともに

四国銀行の数字は、人口減の進む高知県という土地と、それを補う広域店舗網という戦略の、両方を映している。地盤の土佐をしっかり支えつつ、県外にも貸し先を求める。1878年の創業以来、恐慌や合併を乗り越えて、高知の経済とともに歩んできた銀行である。

銀行の数字は、その土地の経済を映す鏡だ。四国銀行を見れば、太平洋に開かれた土佐の国の姿が浮かぶ。預貸率という数字の読み方については、預貸率の読み方もあわせてどうぞ。高知県の他の金融機関と並べて眺めたい方は、高知県の地域金融機関のページへ。

預貸率とは 預貸率(よたいりつ)とは、金融機関の貸出金残高を預金残高で割った比率。預かった資金のうち、どれだけを貸出に回しているかを示す。預貸率が低い金融機関は、相対的に融資先を求めている可能性をうかがう一つの目安になる。ただし、有価証券運用を主体とする金融機関は、預貸率が低くても融資に積極的とは限らない。 → くわしくは「預貸率の読み方

執筆・監修:燧徹史(¥Today 編集責任者)

出典:預金・貸出金・預貸率・自己資本比率・不良債権比率・中小企業等向け貸出先件数・店舗数=金融庁「中小・地域金融機関情報一覧」令和7年3月末。
沿革(第三十七国立銀行・安田財閥・土佐銀行合併・1878年創業)=四国銀行公開情報、各種公開情報。
血判状(誓約書)に関する記述 1886年作成・三浦頭取以下23人連署・「至宝」・2025年6月高知城歴史博物館で初公開=四国銀行公開情報(誓約書)、読売新聞報道(2025年5月)、各種公開情報。
店舗網・広域戦略に関する記述=四国銀行公開情報。
高知県の産業(漁業・園芸・人口減少)に関する記述=各種公開情報。

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