肥後銀行——安田財閥に支えられた熊本の盟主は、TSMCに沸く地で何に貸すか
預貸率85.9%、預金5.5兆円、県内シェア約6割。熊本市に本店を置く肥後銀行。明治の国立銀行を源流とし、昭和恐慌を安田財閥の支援で乗り越え、いまは鹿児島銀行と九州フィナンシャルグループを組む熊本のトップバンク。半導体に沸く土地の数字と歴史を読む。
熊本市中央区、加藤清正が築いた熊本城を望む城下町に、肥後銀行の本店はある。通称「肥銀(ひぎん)」「肥後銀」。熊本県のトップバンクであり、県の指定金融機関でもある。預金は5兆4,741億円、貸出金は4兆7,028億円。県内企業がメインバンクと認識する割合=メインバンクシェアは、ほぼ6割に達するとされる、圧倒的な存在だ。
熊本県は、阿蘇の火山と豊かな地下水に恵まれた土地だ。「火の国」であり「水の国」でもある。農業が盛んで、トマトやスイカ、畜産が知られる。近年は、台湾の半導体大手TSMCが菊陽町に進出し、関連産業の集積が一気に進んだことで、県経済が大きく動いている。その熊本の金融の中心を、肥後銀行は長く担ってきた。
この銀行の歴史をたどると、明治の国立銀行にゆきあたり、そして昭和の恐慌のなかで安田財閥に支えられた一時期に出会う。その縁が、いまのみずほフィナンシャルグループとの関係にまでつながっている。
数字を並べてみる
まず、絶対値から。肥後銀行の預金は5兆4,741億円、貸出金は4兆7,028億円。預貸率は85.9%で、預金の8割超を貸出に回している。自己資本比率は10.92%、不良債権比率は1.21%と低い。店舗数は124、中小企業等への貸出残高は2兆8,127億円にのぼる。
| 預金 | 54,741億円 |
|---|---|
| 貸出金 | 47,028億円 |
| 預貸率 | 85.9% |
| 自己資本比率 | 10.92% |
| 不良債権比率 | 1.21% |
| 中小企業等向け貸出残高 | 28,127億円 |
| 店舗 | 124店 |
預貸率85.9%・不良債権1.21%。県内シェア約6割の盟主が、低い焦げ付きでよく貸す。
明治の国立銀行から、昭和の恐慌へ
肥後銀行の源流は古い。さかのぼれば、1879年(明治12年)に現在の宇土市に設立された第百三十五国立銀行にゆきつく。明治政府が国立銀行条例にもとづいて各地に作らせた、番号を冠する銀行の一つだ。
現在の肥後銀行そのものは、1925年(大正14年)7月、熊本・飽田・植木の3行が合併して肥後協同銀行として設立され、1928年(昭和3年)に肥後銀行と名を改めた。だが、設立からわずか2年後の1927年、昭和金融恐慌が日本を襲う。前身の3行はもともと不良債権を抱えており、それを償却するための資金が足りなくなった。
このとき肥後銀行が増資の引き受けを求めたのが、安田銀行だった。安田財閥の中核をなす銀行である。この縁により、肥後銀行は安田財閥との関係を結び、2代目から4代目までの頭取を、安田家から迎えた。恐慌という危機を、財閥の支援によって乗り越えたのだ。安田銀行はのちに富士銀行となり、いまのみずほフィナンシャルグループにつながる。肥後銀行とみずほは、研修派遣の受け入れなどを通じて、いまも親密な関係にあるとされる。明治の国立銀行に源を持ち、昭和の恐慌を財閥に支えられて越えた——その歩みが、いまの肥後銀行の土台にある。
鹿児島銀行と組んだ、トップ行同士の統合
肥後銀行は、2015年(平成27年)10月、鹿児島県のトップバンクである鹿児島銀行と経営統合し、共同の金融持株会社九州フィナンシャルグループを設立した。これは、それぞれの県でシェアトップの地方銀行同士が統合した、初めての事例として注目された。
ふつう、地銀の統合は、経営の苦しい行を強い行が救う形か、隣り合う行が生き残りのために組む形が多い。だが肥後銀行と鹿児島銀行は、どちらも自県で圧倒的なトップ。その二行が、人口減という共通の課題を見据えて、対等に手を結んだ。本社機能は熊本市に、登記上の本店は鹿児島市に置くという形をとった。九州・山口では、ふくおかフィナンシャルグループ、西日本シティ銀行を擁する西日本フィナンシャルホールディングス、山口フィナンシャルグループに次ぐ規模の金融グループである。
85.9%を、土地と時代から読む
預貸率85.9%は、地方銀行としてよく貸す部類に入る。集めた預金の8割超を貸出に回している。しかも不良債権比率は1.21%と低い。よく貸しながら、焦げ付きが少ない。これは、貸す力と見極める力の両方が利いていることを示している。
この数字の背景には、熊本という土地の経済の力強さがある。農業・畜産という底堅い産業に加え、近年はTSMCの進出を機に、半導体関連の工場・設備投資・雇用が一気に増えた。新しい工場が建ち、取引先が増え、人が集まる。資金需要が旺盛な土地では、銀行はよく貸せる。県内シェア約6割という圧倒的な基盤を持つ肥後銀行は、この動きの中心で貸し先を得ている。低い不良債権比率は、トップ行ならではの取引先の質と、与信の蓄積を映していると読める。
城下町の盟主は、いまの熊本を映す
肥後銀行の預貸率85.9%は、農と水に恵まれ、半導体に沸く熊本という土地の力と、明治以来の歴史が育てた県内シェア約6割という基盤の、両方を映している。国立銀行に源を持ち、昭和の恐慌を安田財閥に支えられて越え、いまは鹿児島銀行と対等に組んで九州の一角を占める。数字は、その金融機関が背負ってきた歴史と、いま立つ土地の景気を同時に語る。肥後銀行の数字は、城下町の盟主が映す、いまの熊本の記録である。
各地の金融機関には、それぞれの歴史と土地の事情が刻まれた、それぞれの生き方があります。熊本県の他の金融機関とあわせて眺めたい方は、熊本県の地域金融機関のページもどうぞ。
執筆・監修:燧徹史(¥Today 編集責任者)
出典:預金・貸出金・預貸率・自己資本比率・不良債権比率・中小企業等向け貸出残高・店舗数=金融庁「中小・地域金融機関情報一覧」令和7年3月末(預貸率は貸出金÷預金で算出)。
沿革(源流=1879年設立の第百三十五国立銀行/1925年に熊本・飽田・植木の3行合併で肥後協同銀行設立、1928年肥後銀行に改称/昭和金融恐慌の際に安田銀行へ増資を求め、2〜4代頭取を安田家から迎えたこと/みずほフィナンシャルグループとの関係)に関する記述=各種公開情報。
九州フィナンシャルグループ(2015年に鹿児島銀行と経営統合、トップ行同士の統合、本社機能は熊本・登記上本店は鹿児島)に関する記述=各種公開情報。
県内メインバンクシェア(約6割)に関する記述=帝国データバンク指標等の各種公開情報にもとづく。
熊本県の経済(農業・畜産、TSMCの菊陽町進出と半導体関連の集積)に関する記述=各種公開情報。