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瀧野川信用金庫——北区の「たきしん」は、都県境をまたいで何に貸すか

預貸率53.4%、預金6,882億円、自己資本比率8.67%、不良債権比率2.84%。東京都北区に本店を置く瀧野川信用金庫。略称たきしん。東京北東部と埼玉南部に根ざす信金が、何に貸すのか。同じ東京北部の信金と比べながら、その数字と歴史を読む。

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東京都の北区に本店を置く瀧野川信用金庫は、預金6,882億円を持つ信用金庫だ。店舗30前後。略称は「たきしん」。本店は北区田端新町にあり、東京北東部(北区・足立区・板橋区・荒川区・文京区)と、埼玉県南部(川口市・草加市・戸田市・蕨市)に店舗を構える。都県境をまたいで店舗網を広げているのが特徴だ。

本拠の北区は、東京の城北に位置する。かつての滝野川区と王子区が合併して生まれた区であり、中小の町工場や商店、住宅が混在する下町的な土地だ。荒川と隅田川にはさまれ、隣の埼玉県川口市は鋳物のまちとして知られる。瀧野川信用金庫は、こうした東京北東部から埼玉南部にかけての、中小と暮らしの土地に根ざしてきた信金だ。

この信金の数字を見ると、預貸率53.4%という標準的な水準で、預金の半分強を貸出に回している。自己資本比率8.67%は、信用金庫としてはやや薄めだ。不良債権比率2.84%は落ち着いた水準だ。なぜ、北区の信金は、こうした数字になるのか。同じ東京北部の信金とも比べながら、数字を読みにいく。

数字を並べてみる

まず、絶対値から。瀧野川信用金庫の預金は6,882億円、貸出金は3,672億円。預貸率は53.4%で、預金の半分強を貸出に回している。自己資本比率は8.67%、不良債権比率は2.84%。店舗数は30前後、中小企業等への貸出残高は3,588億円。

同じ東京北部で、規模が大きい城北信用金庫(預貸率49.3%・預金2兆6,571億円)と比べると、たきしんはより貸出に踏み込んでいる。瀧野川信用金庫の預貸率53.4%は城北信用金庫(49.3%)を上回り、預金をより貸出に回している。一方、規模は城北信用金庫が4倍近く大きい。同じ下町の城北に根ざす信金でも、規模と貸し方に差がある。池袋を中心とする東京信用金庫(預貸率62.8%)はさらに高い預貸率で貸しており、同じ城北の信金のなかにも、貸す姿勢のグラデーションがあると読める。

東京北部の三つの信用金庫(令和7年3月末)
 瀧野川信用金庫城北信用金庫東京信用金庫
本店北区荒川区豊島区
預金6,882億円2兆6,571億円1兆2,290億円
預貸率53.4%49.3%62.8%
不良債権比率2.84%1.99%

いずれも東京北部の下町を地盤とする信金。瀧野川信用金庫は規模では城北・東京の両信金に及ばないが、預貸率は城北を上回る。都県境をまたぐ店舗網が特徴。

滝野川から北区へ——瀧野川信用金庫の歩み

瀧野川信用金庫は、1939年(昭和14年)2月、「有限責任瀧野川区信用組合」として設立された。第二次大戦末期、軍事施設を抱えていた瀧野川区は空襲で大きな被害を受け、組合の建物や事業書類も大半を焼失した。戦後、組合の存続が論議されるなか、「地元の中小企業と庶民および瀧野川区の発展のために」という創業の精神に立ち返って再建された、と同金庫は伝える。

1947年(昭和22年)、東京の区が35区制から22区制へ整理統合された際、滝野川区と王子区が合併して北区が生まれた。これを受けて、瀧野川区の信用組合から北区の信用組合へと歩み始めた。1951年(昭和26年)に信用金庫へ転換して瀧野川信用金庫となり、1966年(昭和41年)に本店を北区田端新町へ新築移転した。1967年には埼玉県に蕨支店を開設し、都県境を越えて営業地域を広げた。戦災からの再建と、都県境をまたぐ展開が、この信金の歩みを形づくっている。

北区から埼玉南部にかけての土地は、信用金庫にとって、会員の資金需要のある地盤だ。中小の町工場、商店、住宅が混在し、隣接する川口市は鋳物・機械のものづくりのまちだ。こうした中小と暮らしに密着して貸す——その姿が、預貸率53.4%という水準を支えている。自己資本比率8.67%というやや薄めの資本は、貸出に踏み込んできたことの裏返しとも読める。不良債権比率2.84%は落ち着いた水準で、堅実に貸してきたことを映していると読める。

53.4%を、北区から読む

瀧野川信用金庫の預貸率53.4%という水準は、東京北東部から埼玉南部にかけての中小と暮らしの土地で、会員に着実に貸していることの表れだと読める。町工場や商店、住宅の混在するこの地は、信用金庫が貸す相手のある土地だ。瀧野川信用金庫は、都県境をまたいで店舗を広げ、その地の中小・零細事業者に密着して貸し、預金の半分強を貸出に回している。

自己資本比率8.67%というやや薄めの資本は、貸出に踏み込む姿勢の裏返しと読める。不良債権比率2.84%という落ち着いた焦げ付きは、その貸出が堅実に保たれてきたことを映す。戦災を越えて再建され、都県境をまたいで中小に貸す——それが、瀧野川信用金庫の数字に表れた生き方だと読める。預貸率という数字をどう読むかについては、預貸率の読み方もあわせてどうぞ。

東京の経済とともに

瀧野川信用金庫の数字は、東京北東部から埼玉南部という土地と、そこで戦後を越えてきた信金の歩みの、両方を映している。預金の半分強を地元の会員に貸し、都県境をまたいで店舗を広げながら、中小と暮らしの土地を支えてきた。北区から川口へと続く、ものづくりと住宅の経済が、53.4%という預貸率に表れている。

銀行や信用金庫の数字は、その土地の経済と、その金融機関の生き方を映す鏡だ。瀧野川信用金庫を見れば、東京北東部の経済と、そこで都県境をまたいで貸す信金の姿が浮かぶ。東京都の他の金融機関は、城北の城北信用金庫、池袋の東京信用金庫、多摩の多摩信用金庫もあわせてどうぞ。預貸率という数字の読み方については、預貸率の読み方へ。東京都の他の金融機関と並べて眺めたい方は、東京都の地域金融機関のページへ。

瀧野川信用金庫と融資・保証のはなし

瀧野川信用金庫は、地域に根ざした信用金庫です。借りる・備えるのどちらを考えるにしても、土台になるのは日頃の取引と信用。口座づくりから保証制度まで、どんな立場でも知っておきたい融資・銀行取引の基礎をまとめました。

預貸率とは 預貸率(よたいりつ)とは、金融機関の貸出金残高を預金残高で割った比率。預かった資金のうち、どれだけを貸出に回しているかを示す。中小の町工場や商店、住宅が混在する都市部では、会員の資金需要に応えて預金の半分前後を貸出に回し、預貸率が50%台に落ち着くことがある。自己資本比率とあわせて見ることで、その信金の姿勢が見えてくる。 → くわしくは「預貸率の読み方

執筆・監修:燧徹史(¥Today 編集責任者)

出典:預金・貸出金・預貸率・自己資本比率・不良債権比率・中小企業等向け貸出残高・店舗数=金融庁「中小・地域金融機関情報一覧」令和7年3月末(信用金庫の計数は百万円単位を億円に換算。預貸率は貸出金÷預金で算出)。城北信用金庫・東京信用金庫の数値も同出典。
沿革(1939年(昭和14年)2月に「有限責任瀧野川区信用組合」として設立されたこと、戦災で建物・書類の大半を焼失し「地元の中小企業と庶民および瀧野川区の発展のために」という創業の精神のもと再建されたこと、1947年に滝野川区と王子区が合併して北区が生まれたこと、1951年に信用金庫へ転換したこと、1966年に本店を北区田端新町へ移転したこと、1967年に埼玉県に蕨支店を開設したこと、略称が「たきしん」で東京北東部と埼玉南部に店舗をもつこと)=瀧野川信用金庫および各種公開情報にもとづく。
北区・滝野川・埼玉南部の地理・経済(北区、滝野川区、王子区、田端新町、川口、鋳物、町工場、荒川、隅田川)に関する記述=各種公開情報。

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