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愛媛銀行——野武士「ひめぎん」は、船に貸す伊予銀のとなりで何に貸すか

預貸率77.8%、預金2.5兆円、店舗111。松山市に本店を置く愛媛銀行。1915年の東豫無尽蓄積を起こりとし、「思いやり」「相互扶助」の無尽の精神を継ぐ第二地方銀行「ひめぎん」。無尽の時代から船舶融資に取り組んだ歴史と数字を読む。

ニホン銀行紀行 ・ 愛媛県

松山市、道後温泉と松山城の城下町に、愛媛銀行の本店はある。通称「ひめぎん」。愛媛県を地盤とする第二地方銀行だ。同じ松山には、県のトップバンクである地方銀行・伊予銀行がある。県内には、よく貸すことで知られる伊予銀行と、無尽の心を継ぐ愛媛銀行という、性格の異なる二行が並び立っている。

愛媛県は、瀬戸内海に長く面した土地だ。みかんをはじめとする柑橘の一大産地として知られるが、それ以上に、四国四県で最も大きな経済規模を持つ・ものづくりの県である。とりわけ、県東部——東予(とうよ)地域には、重厚長大な工業ベルトが帯状に並ぶ。新居浜の非鉄金属・化学・機械、四国中央の製紙、そして今治の造船。この工業集積が、愛媛の経済を他県と一線を画す規模に押し上げている。海と柑橘、そして重工業の県の金融を、愛媛銀行は伊予銀行とともに支えてきた。

この銀行を語るとき、外せないのが「無尽(むじん)」という出自だ。庶民が小銭を出し合う相互金融から始まったこの銀行は、いまも「思いやり」「相互扶助」という無尽の精神を掲げている。その心は、平時の看板ではなく、最も厳しい局面で試されてきた。

数字を並べてみる

まず、絶対値から。愛媛銀行の預金は2兆5,477億円、貸出金は1兆9,826億円。預貸率は77.8%で、預金の8割近くを貸出に回している。自己資本比率は8.1%、不良債権比率は1.73%。店舗数は111、中小企業等への貸出残高は1兆4,480億円にのぼる。

愛媛県内の主な普通銀行(令和7年3月末)
 愛媛銀行伊予銀行
種別第二地方銀行地方銀行
預金25,477億円65,170億円
貸出金19,826億円58,800億円
預貸率77.8%90.2%
自己資本比率8.1%14.19%

県のトップは伊予銀行。規模でも預貸率でも上回るが、愛媛銀行は無尽以来の中小密着で県を支える。二行が愛媛の金融を担う。

「無尽」から始まった——東豫無尽蓄積の心

愛媛銀行の創業は、1915年(大正4年)、東豫無尽蓄積株式会社が設立されたことに始まる。無尽とは、何人かが定期的にお金を出し合って積み立て、くじや入札で順番に給付を受ける、庶民の相互金融のしくみだ。銀行が相手にしなかった小さな商人や勤め人にとって、無尽は身近な資金の頼みの綱だった。

その後、1943年(昭和18年)に愛媛県内の無尽会社5社が合併して愛媛無尽となり、戦後の1951年、相互銀行法の施行で愛媛相互銀行に転換。さらに1989年(平成元年)、普通銀行へ転換して株式会社愛媛銀行となった。庶民の無尽から、相互銀行を経て、普通銀行へ。この歩みは、全国の第二地方銀行に共通する道筋でもある。

だが愛媛銀行が特筆されるのは、その精神を看板にとどめていない点だ。愛媛銀行は、創業以来受け継いできた「思いやり」「相互扶助」という無尽の精神を、いまも経営理念の核に据えている。「お客様を第一に、行員を大事にすることが繁盛のもと」という創業者の言葉を、いまも掲げる。2025年9月には、創業110周年を迎えた。

倒れた取引先と、それでも取引を続けた——大王製紙との間

「相互扶助」の精神が、最も濃く実を結んだ例が、大王製紙との長い取引だと伝えられる。大王製紙は、愛媛県四国中央市(旧・伊予三島)を拠点とする製紙会社で、いまや「エリエール」のブランドで知られる大企業だ。その創業者・井川伊勢吉氏は、古紙原料商から身を起こし、1943年、四国の製紙会社14社を統合して大王製紙を設立した。

だがその道のりは、平坦ではなかった。1962年(昭和37年)、大王製紙は支払手形が不渡りとなり、自主再建を断念して会社更生法の適用を申請した。紙市場の不況と原料高に、積極経営による設備投資が重なった結果だった。企業が更生手続きに入れば、銀行は貸した金の多くを振り替えや放棄を迫られる。たいていの金融機関なら、ここで距離を置く。

だが愛媛銀行は、その後も首尾一貫して大王製紙との取引を続けたと伝えられる。そして、井川伊勢吉氏は、更生の際に放棄を受けた債務を、のちに寄付の形で当時の銀行団に弁済したとされる。法的には返す義務のなくなった金を、事業が立ち直ったあとで返したのである。大王製紙はその後成長を遂げ、上場企業へと育っても、愛媛銀行とは密接な取引を続けたと伝えられる。苦しいときに離れず、事業が育てばその縁が返ってくる——「思いやり」「相互扶助」の無尽の精神が、一件の長い取引のなかで生きた一例として語り継がれている。(本項の取引の経緯に関する記述は、関係者への取材と伝承にもとづく。)

船に貸す——無尽の時代から、海運の県とともに

もう一つ、相互扶助の心が表れたのが船舶融資だ。瀬戸内・愛媛は、日本有数の船主(せんしゅ)の集まる土地である。そして、その船をつくる造船業も、この土地の基幹産業だ。今治市に本社を置く今治造船は、国内造船シェア約四割を握る造船専業の最大手で、売上高は4,600億円を超える(2025年3月期)。世界でも第3位の規模を持ち、造船を本業としない財閥系の総合重工の造船事業を、単体で大きく上回る。それほど、瀬戸内の造船という産業の規模は大きい。

船を一隻つくるには巨額の資金がいるが、船は陸の不動産と違って動き、海難のリスクもある。多くの金融機関が、船への融資には慎重だった。ところが愛媛銀行は、銀行が船舶融資を行っていなかった「無尽」の時代から、いち早く船に貸すことに取り組んだとされる。地元の海運業を、ともに支え合う相手として見たのだろう。船に貸すといえば、県のトップバンク・伊予銀行が船主業への独自審査でよく知られるが、無尽の時代からの取り組みという点で、愛媛銀行もまた、瀬戸内の海運と造船とともに歩んできた。近年は、山口フィナンシャルグループと提携し、西瀬戸エリアの海事産業を支える枠組みづくりにも踏み出している。

バブルを軽傷で越えた——二人の頭取

無尽以来の堅実と相互扶助の精神は、看板の言葉にとどまらない。それが経営の判断として表れたのが、昭和の終わりから平成のはじめ、バブル経済とその崩壊の時代だった。この時期の愛媛銀行を、二人の頭取が導いている。

第4代の森信義頭取の時代、行内には「投機融資をしてはならない」という厳しい方針があったと伝えられる。土地・株式・先物といった、値上がりを当て込んだ投機を目的とする融資から、いち早く手を引いた。バブルの真っ只中、地価も株価も天井知らずに見えたあの頃、多くの金融機関が投機マネーに貸し込んでいった。そのなかで、愛媛銀行は踏みとどまった。だからこそ、バブルが崩壊したとき、比較的軽い傷で混乱を乗り切ることができたとされる。無尽から相互銀行へと続く堅実の血が、過熱した時代に冷静を保たせたのだろう。

続く第5代の一色哲昭頭取の時代は、バブル崩壊後の後始末の局面だった。ここで一色頭取は、銀行に厳しい規制を押しつける大蔵省と強硬に対立したと伝えられる。とりわけ、中小企業への支援融資にまで及ぶ介入を、押し返そうとした。その気骨ある姿勢から、当時の一色頭取は「野武士」とあだ名されていたという。

この対立の意味は、時代を知ると見えてくる。当時は金融ビッグバンが始まり、自己資本比率の国際統一基準であるBIS規制が導入されるなど、金融の環境が突如として変わった時期だった。銀行は自己資本を守るために貸出を絞らざるをえず、その結果、中小・零細企業が大量に倒産していった。いわゆる「貸し渋り」「貸し剥がし」の時代である。そのなかで、中小への支援融資を守ろうとして大蔵省と渡り合った頭取がいた——その逸話は、「思いやり」「相互扶助」という無尽の精神が、最も厳しい局面で試され、貫かれた一例として読める。なお、これらの逸話は、各頭取時代の職員・新聞記者など関係者への取材や当時の世評にもとづくものである。

77.8%を、二行の並びから読む

預貸率77.8%は、第二地方銀行としてよく貸す部類に入る。集めた預金の8割近くを貸出に回している。同じ愛媛のトップバンク・伊予銀行の90.2%には及ばないが、運用に偏ることなく、しっかり貸す姿勢が見てとれる。

そして、出自が庶民の無尽でありながら、第二地銀としての規模が小さくないのには、理由がある。預金2.5兆円・貸出2兆円近いという規模を支えているのは、東予の工業ベルトへの貸出だと読める。新居浜の重工業、四国中央の製紙、今治の造船という製造業の集積は、それ自体が大きな資金需要を生む。四国四県で最も大きな経済規模を持つ愛媛、その中でも重厚長大な東予の製造業に貸してきたことが、無尽出身の第二地銀を、それなりの規模に育ててきたと考えられる。

それでも伊予銀行との違いは、県内に二行が並び立つという構図のなかで読むとはっきりする。規模で大きく上回り、預貸率も高い伊予銀行に対し、愛媛銀行は第二地銀として、より小さな事業者・より地元に密着した取引を身上としてきた。中小企業等向け貸出残高は1兆4,480億円で、貸出の大半を中小に向けている。取引先のうち県内企業の割合は8割を超えるとされる。大手と張り合うのでなく、無尽以来の中小密着で県を支える——その立ち位置が、77.8%という数字に表れている。

相互扶助の心が、いまも県を支える

愛媛銀行の預貸率77.8%は、柑橘と海運の県・愛媛という土地と、無尽以来の中小密着・相互扶助の伝統の、両方を映している。庶民が小銭を出し合った東豫無尽蓄積から始まり、相互銀行を経て、いまも「思いやり」を掲げて地元の事業者に貸す。船が陸の論理で計れなかった時代から、海運に寄り添ってきた。数字は、その金融機関がどこから来て、何を大切にして貸してきたかを語る。愛媛銀行の数字は、無尽の心を継ぐ「ひめぎん」の、いまの記録である。

各地の金融機関には、それぞれの成り立ちと土地の事情が刻まれた、それぞれの生き方があります。愛媛県の他の金融機関とあわせて眺めたい方は、愛媛県の地域金融機関のページもどうぞ。

預貸率とは 預貸率(よたいりつ)とは、金融機関の貸出金残高を預金残高で割った比率。預かった資金のうち、どれだけを貸出に回しているかを示す。預貸率が低い金融機関は、相対的に融資先を求めている可能性をうかがう一つの目安になる。ただし、有価証券運用を主体とする金融機関は、預貸率が低くても融資に積極的とは限らない。 → くわしくは「預貸率の読み方

執筆・監修:燧徹史(¥Today 編集責任者)

出典:預金・貸出金・預貸率・自己資本比率・不良債権比率・中小企業等向け貸出残高・店舗数=金融庁「中小・地域金融機関情報一覧」令和7年3月末(預貸率は貸出金÷預金で算出)。伊予銀行の数値も同出典。
沿革(1915年の東豫無尽蓄積株式会社設立を起こりとし、1943年に愛媛県内の無尽会社5社が合併して愛媛無尽、1951年に愛媛相互銀行へ転換、1989年に普通銀行化して愛媛銀行/「思いやり」「相互扶助」の無尽の精神を経営理念に掲げること/2025年で創業110周年)に関する記述=愛媛銀行公開情報、各種公開情報。
船舶融資(無尽の時代から船舶融資に取り組んだこと、山口フィナンシャルグループとの西瀬戸の海事連携)に関する記述=愛媛銀行公開情報および報道。
大王製紙との取引(会社更生法申請後も取引を継続したこと、井川伊勢吉氏が放棄を受けた債務を寄付の形で銀行団に弁済したとされること、成長後も密接に取引を続けたこと)に関する記述=関係者への取材と伝承にもとづく。大王製紙の沿革(1943年設立、1962年の不渡りと会社更生法申請、井川伊勢吉氏が古紙原料商から起こしたこと、「エリエール」ブランド)は各種公開情報。
今治造船の規模(国内造船シェア約四割、売上高4,600億円超・2025年3月期、世界第3位の規模、造船専業の国内最大手)に関する記述=今治造船公開情報及び報道にもとづく。
東予の工業集積(新居浜の非鉄金属・化学・機械、住友の企業城下町、別子銅山の歴史、四国中央の製紙)に関する記述=各種公開情報。
第4代森信義頭取時代の投機融資回避とバブル崩壊を軽傷で越えたこと、第5代一色哲昭頭取時代の大蔵省との対立・中小支援融資への介入を縮小させたこと・「野武士」と呼ばれたことに関する記述=各頭取時代の職員・新聞記者など関係者への取材および当時の世評にもとづく。金融ビッグバン・BIS規制の導入と中小・零細企業の倒産に関する時代背景=各種公開情報。
取引先に占める県内企業の割合(約8割)に関する記述=愛媛銀行公開情報。
愛媛県の産業(柑橘、東予の製造業集積、瀬戸内の海運・船主)に関する記述=各種公開情報。

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