¥Today ニホン銀行紀行

宇和島信用金庫——真珠の海・宇和海の城下町で、南予唯一の信金は何に貸すか

預貸率60.3%、預金1,104億円、自己資本比率9.87%、不良債権比率3.41%。愛媛県宇和島市に本店を置く宇和島信用金庫。南予でただ一つの信金が、真珠とみかんと闘牛の城下町で何に貸すのか。同じ愛媛の信金と比べながら、その数字と歴史を読む。

銀行・金融ニュース
ニホン銀行紀行 ・ 愛媛県

愛媛県の宇和島市に本店を置く宇和島信用金庫は、預金1,104億円を持つ信用金庫だ。店舗10。「うわしん」の呼び名で知られ、宇和島市に8店、西予市・南宇和郡愛南町に各1店を構える。南予——愛媛県南部に本店を置く、ただ一つの信用金庫である。

本拠の宇和島市は、伊達十万石の城下町だ。仙台の伊達政宗の長男・秀宗が興した宇和島藩のもと栄え、宇和島城が今も天守を残す。三方を山に囲まれ、西は宇和海に開ける。リアス式海岸が深い入り江をつくり、真珠・ハマチ・マダイの養殖が盛んで、闘牛とみかんの土地としても知られる。宇和島信用金庫は、こうした真珠の海・宇和海に開けた城下町と、その背後の南予一円に根ざしてきた信金だ。

この信金の数字で目を引くのは、預貸率60.3%という、信用金庫としてはやや高めの水準だ。預金の6割を貸出に回している。自己資本比率9.87%、不良債権比率3.41%。なぜ、南予唯一の信金は、こうした数字になるのか。同じ愛媛の信金とも比べながら、数字を読みにいく。その前に、この海が世界とつながった物語に少し寄り道したい。

真珠の海・宇和海と、世界に渡った「匁」

宇和海は、いまや日本一の真珠の海だ。養殖真珠そのものの技術は、三重県の英虞湾で御木本幸吉が1893年(明治26年)に半円真珠の養殖に世界で初めて成功したことに始まる。だが、その技術は三重にとどまらなかった。早くも1907年(明治40年)には、御荘の小西左金吾が三重から海女を雇って宇和海で養殖を志し、やがて宇和島の湾々へと広がっていく。リアス式海岸の穏やかな入り江と、黒潮がもたらす豊かな水質が、アコヤ貝の育つ最良の漁場だった。

戦後、宇和海はさらに大きな役割を担う。いわし網漁の不振を背景に、愛媛県は沿岸漁村の振興策として真珠母貝の養殖を推し進めた。少ない資本で始められ、官民一体の指導体制も整ったことから、宇和海の真珠養殖は急速に伸びる。1975年(昭和50年)には愛媛県が真珠生産量で日本一となり、1992年以降は全国の真珠母貝の7割超を供給する母貝の一大供給県となった。三重の英虞湾が技術を生み、宇和海がその生産を支える——日本の真珠は、この二つの海に担われてきたと読める。

そして、日本の養殖真珠が世界の真珠生産の中核を担うようになった結果、思いがけないものが世界に渡った。真珠の重さをはかる単位「匁(もんめ)」だ。匁は日本の尺貫法の単位で、1匁は3.75グラム、今の五円玉一枚とほぼ同じ重さ。日本がトップクラスの真珠産地となったことで、この日本固有の単位が真珠取引の国際共通単位として定着した。尺貫法そのものが廃止された現在でも、日本の計量法は真珠の計量に限って「もんめ」の使用を認めており、海外でも「momme」「mom」と綴られて使われている。宇和海の入り江で核を入れられた一粒の真珠は、世界の市場で「何匁」と数えられる――土地の海が、日本の言葉を世界の取引の物差しにまで運んだ、と読める。

ペルシャ湾岸はかつて天然真珠の一大産地だった。日本の養殖真珠の台頭と世界恐慌が重なって天然真珠の経済が衰え、ほぼ同じ時期に湾岸では石油が見いだされて、産業の主役が移っていった。養殖真珠が石油の時代を招いたと断ずることはできないが、時期は確かに重なっている。私たちがいま当たり前に使うエネルギーの社会も、その遠い淵源をたどれば、宇和海や英虞湾の静かな入り江と、御木本幸吉という一人の執念に、どこかでつながっているのかもしれない。宇和島信用金庫は、その真珠の海の城下町に立つ信金だ。

数字を並べてみる

まず、絶対値から。宇和島信用金庫の預金は1,104億円、貸出金は666億円。預貸率は60.3%で、預金の6割を貸出に回している。自己資本比率は9.87%、不良債権比率は3.41%。店舗数は10、中小企業等への貸出残高は589億円。

同じ愛媛県で、県都・松山を地盤とする県内最大の信金愛媛信用金庫(預貸率51.9%・自己資本比率20.86%)と比べると、南予の宇和島はより高い比率で貸している。宇和島信用金庫の預貸率60.3%は愛媛信用金庫(51.9%)を上回り、預金の6割を貸出に回す。一方、自己資本比率は愛媛信用金庫(20.86%)が厚く、宇和島信用金庫(9.87%)はその半分以下だ。県都・松山で広く貸し厚い資本を積む「あいしん」と、南予でただ一つ、地域に深く貸す「うわしん」——同じ愛媛の信金でも、地盤とする土地と立ち位置の違いが数字に表れていると読める。興味深いことに、愛媛信用金庫は長らく宇和島市には店舗を置かず、地元信金とのすみ分けを保ってきた。

愛媛県の二つの信用金庫(令和7年3月末)
 宇和島信用金庫愛媛信用金庫
本店宇和島市(南予)松山市(中予)
預金1,104億円6,760億円
預貸率60.3%51.9%
自己資本比率9.87%20.86%
不良債権比率3.41%

ともに愛媛県を地盤とする信金。南予唯一の宇和島はよく貸し、県都・松山の愛媛信金は厚い資本を積む。地盤とする土地の違いが背景にある。

伊達十万石の城下町とともに——宇和島信用金庫の歩み

宇和島信用金庫は、1922年(大正11年)5月3日、宇和島信用購買組合として設立された。1952年(昭和27年)5月、信用金庫法に基づき信用金庫に転換し、宇和島信用金庫となった。2022年には創業100年を数えた、南予一円に支店網を持つ唯一の信金である。伊達家の城下町という土地柄を映して、当金庫は伊達秀宗や宇和島藩主を主人公とした絵本を企画制作するなど、地域の歴史・文化への貢献にも取り組んできた。また、南予の二代目・三代目の若手経営者を育てる「南予活性化若手経営塾」を開き、事業承継や経営体質の改善を後押ししている。

南予という土地は、信用金庫にとって、貸す相手のある地盤だ。宇和海の真珠・ハマチ・マダイの養殖、その背後の柑橘農業、城下町の商業——多様な事業者が広がる。一方で、人口減少と高齢化が進み、地方銀行も少ない。南予でただ一つの信金として、この地の中小・零細事業者に深く貸す——その姿が、預貸率60.3%という、信用金庫としては高めの水準を支えている。自己資本比率9.87%、不良債権比率3.41%は、限られた商圏で地域の浮き沈みを引き受けながら、地元に貸し続けてきたことを映していると読める。

60.3%を、宇和海から読む

宇和島信用金庫の預貸率60.3%という水準は、南予でただ一つの信金として、宇和海の城下町と背後の地域に深く貸していることの表れだと読める。真珠・魚類養殖と柑橘の南予は、信用金庫が貸す相手のある土地だ。地方銀行の薄いこの地で、宇和島信用金庫はその中小・零細事業者に密着して貸し、預金の6割を貸出に回している。

自己資本比率9.87%という資本と、不良債権比率3.41%という焦げ付きは、限られた商圏のなかで地域とともに歩んできたことの表れだと読める。真珠の海の城下町に根ざし、南予でただ一つの信金として地域を支える——それが、宇和島信用金庫の数字に表れた生き方だと読める。預貸率という数字をどう読むかについては、預貸率の読み方もあわせてどうぞ。

愛媛の経済とともに

宇和島信用金庫の数字は、真珠の海・宇和海に開けた城下町という土地と、南予でただ一つの信金として歩んできた歴史の、両方を映している。預金の6割を地元の会員に貸し、限られた商圏で地域の中小・零細事業者を支えてきた。真珠と柑橘と養殖の南予の経済が、60.3%という預貸率に表れている。

銀行や信用金庫の数字は、その土地の経済と、その金融機関の生き方を映す鏡だ。宇和島信用金庫を見れば、南予の経済と、そこでただ一つ地域に貸す信金の姿が浮かぶ。愛媛県の他の金融機関は、県都・松山の愛媛信用金庫、紙のまちの川之江信用金庫、船に貸す伊予銀行もあわせてどうぞ。預貸率という数字の読み方については、預貸率の読み方へ。愛媛県の他の金融機関と並べて眺めたい方は、愛媛県の地域金融機関のページへ。

宇和島信用金庫と融資・保証のはなし

宇和島信用金庫は、南予に深く根ざした信用金庫です。借りる・備えるのどちらを考えるにしても、土台になるのは日頃の取引と信用。口座づくりから保証制度まで、どんな立場でも知っておきたい融資・銀行取引の基礎をまとめました。

預貸率とは 預貸率(よたいりつ)とは、金融機関の貸出金残高を預金残高で割った比率。預かった資金のうち、どれだけを貸出に回しているかを示す。地方銀行の薄い地域で、その土地に根ざす唯一の信用金庫が中小・零細事業者に深く貸す場合、預貸率が6割前後とやや高めになることがある。自己資本比率や不良債権比率とあわせて見ることで、その信金の姿が見えてくる。 → くわしくは「預貸率の読み方

執筆・監修:燧徹史(¥Today 編集責任者)

出典:預金・貸出金・預貸率・自己資本比率・不良債権比率・中小企業等向け貸出残高・店舗数=金融庁「中小・地域金融機関情報一覧」令和7年3月末(信用金庫の計数は百万円単位を億円に換算。預貸率は貸出金÷預金で算出)。愛媛信用金庫の数値も同出典。
沿革(1922年(大正11年)5月3日に宇和島信用購買組合として設立され、1952年(昭和27年)5月に信用金庫法に基づき宇和島信用金庫となったこと、南予一円に支店網を持つ唯一の信用金庫であること、2022年に創業100年を数えたこと、宇和島市8店・西予市1店・南宇和郡愛南町1店の計10店であること、伊達秀宗らを題材とした絵本の企画制作や「南予活性化若手経営塾」などに取り組むこと、「うわしん」と呼ばれること)=宇和島信用金庫および各種公開情報にもとづく。
真珠・宇和海の歴史(御木本幸吉が1893年に三重・英虞湾で半円真珠の養殖に成功したこと、1907年に小西左金吾が宇和海で養殖を志し南予に広がったこと、戦後に沿岸漁村振興策として真珠母貝養殖が推進され1975年に愛媛県が真珠生産量日本一となったこと、1992年以降に全国の真珠母貝の7割超を供給する産地となったこと、日本の養殖真珠の隆盛により尺貫法の「匁=もんめ」が真珠取引の国際共通単位となり計量法でも真珠の計量に限り認められていること、1匁が3.75グラムであること)=国立公文書館、農林水産統計、各種公開情報にもとづく。なお、養殖真珠の隆盛とペルシャ湾岸の産業転換の時期的な重なりに関する記述は一般的な経緯の整理であり、特定の因果を断定するものではない。
宇和島・南予の地理・歴史(宇和島、伊達秀宗、宇和島藩、宇和島城、宇和海、リアス式海岸、闘牛、みかん、ハマチ、マダイ、南予)に関する記述=各種公開情報。

本サイトは、資金繰り支援サービス「¥Today」が運営しています。

← ニホン銀行紀行へ | ¥Today トップへ