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米沢信用金庫——上杉の城下町・米沢で、米沢しんきんは何に貸すか

預貸率41.2%、預金1,630億円、自己資本比率18.17%、不良債権比率6.22%。山形県米沢市に本店を置く米沢信用金庫。上杉の城下町・米沢に根ざし、米沢織を支えてきた米沢しんきんが、何に貸すのか。同じ山形の協同組織金融機関と比べながら、その数字と歴史を読む。

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山形県の米沢市に本店を置く米沢信用金庫は、預金1,630億円を持つ信用金庫だ。店舗13。略称は「米沢しんきん」。米沢市を中心に、南陽市・長井市・高畠町・川西町・山形市など、置賜地方を地盤とする。米沢市に本店を置く唯一の地域金融機関であり、上杉の城下町・米沢に根ざす信金だ。

本拠の米沢市は、山形県の南部、置賜盆地に位置する城下町だ。戦国の名将・上杉謙信を祖とし、その後を継いだ上杉氏が、関ヶ原の後に会津からこの地へ移って以来の城下町である。名君・上杉鷹山が藩政改革と殖産興業を進めた地としても名高い。その産業振興のなかで根づいたのが、絹織物の米沢織(米織)だ。いまも米沢牛とともに、米沢を代表する地場産業として知られる。背後には吾妻連峰、市内には上杉神社が鎮座し、春の上杉まつりが街を彩る。米沢信用金庫は、こうした上杉の城下町・米沢を中心とする置賜地方に根ざし、地元の中小事業者と暮らしに貸してきた。

この信金の数字を見ると、預貸率41.2%という低めの水準に対し、自己資本比率18.17%という厚さが際立つ。預金の4割強しか貸出に回さず、資本を厚く積む。なぜ、城下町の信金は、こうした堅実な数字になるのか。同じ山形県の協同組織金融機関とも比べながら、数字を読みにいく。

数字を並べてみる

まず、絶対値から。米沢信用金庫の預金は1,630億円、貸出金は672億円。預貸率は41.2%で、預金の4割強を貸出に回している。自己資本比率は18.17%、不良債権比率は6.22%。店舗数は13。

同じ山形県の協同組織金融機関と比べてみる。県都の山形信用金庫(預貸率62.3%・自己資本比率11.93%)、庄内の鶴岡信用金庫(預貸率39.1%・自己資本比率22.12%)、置賜の山形第一信用組合(預貸率58.5%・自己資本比率12.95%)と並べると、米沢信用金庫の預貸率41.2%は低めで、県都の山形信金が6割超で貸すのとは対照的だ。むしろ庄内の鶴岡信金に近い、低い預貸率と厚い自己資本の組み合わせを取る。自己資本比率18.17%は、山形信金・山形第一信組より明らかに厚い。米織という、浮き沈みの大きい地場産業を地盤としてきた歴史を踏まえ、無理に貸さず資本を厚く積む堅実経営を選んできた姿が読み取れる。不良債権比率6.22%はやや高めで、地場産業とともに浮沈を引き受けてきたことの表れだと読める。

山形県の協同組織金融機関(令和7年3月末)
 米沢信用金庫山形信用金庫鶴岡信用金庫山形第一信用組合
本店米沢市山形市鶴岡市東置賜郡
預貸率41.2%62.3%39.1%58.5%
自己資本比率18.17%11.93%22.12%12.95%
不良債権比率6.22%4.03%6.01%4.16%

いずれも山形県の協同組織金融機関。米沢は低い預貸率と厚い自己資本の組み合わせで、庄内の鶴岡信金に近い堅実型。

米沢織とともに——米沢信用金庫の歩み

米沢信用金庫の歴史は、地場産業・米沢織と分かちがたく結びついている。1926年(大正15年)11月1日、「保証責任米澤織物製造信用販売購買組合」として設立された。その名のとおり、米織の織物業者を支えるために生まれた組合だった。1943年(昭和18年)の改組と合併を経て米沢市信用組合となり、戦後の1951年(昭和26年)10月、信用金庫法に基づき「米沢信用金庫」として新発足した。本店は米沢市に置かれ、置賜地方を地盤として13店舗を展開する。2016年(平成28年)には創立90周年を迎えた。

米沢織という地場産業は、信用金庫にとって、深く関わりながらも難しい相手だった。1950年代、繊維の価格統制撤廃と織物ブームで米織は活況に沸き、織物業者から米沢信金に多くの手形が持ち込まれ、当時の貸出は手形割引が過半を占めたという。米沢信金は経営陣に織物実務経験者を起用し、独特の目利きのノウハウを築いた。そのため、米織業界が危機に瀕した際にも貸倒れを出さずに業績を伸ばし、オイルショックなどで業界が苦境に陥った際にも、常に支援の手を差し伸べてきたという。この地場産業を深く理解しながら、堅実に貸す姿勢が、低い預貸率と厚い自己資本という今日の数字につながっていると読める。浮き沈みの大きい繊維産業を地盤としてきたからこそ、無理に貸さず、資本を厚く備える。創立90年を超えてなお、米織とともに歩んできた堅実さが、この数字に受け継がれている。

41.2%を、城下町から読む

米沢信用金庫の預貸率41.2%という低めの水準と、自己資本比率18.17%という厚さの組み合わせは、米沢織という浮き沈みの大きい地場産業を地盤に、無理をせず資本を厚く積んできたことの表れだと読める。県都の山形信金が6割超で貸すのとは対照的に、米沢は4割強にとどめ、その分、資本を厚く備える。

そのうえで、織物実務に通じた目利きで米織を支えてきたという歴史が、この信金の性格を物語る。地場産業を深く理解しながら、危機の際には支援し、平時には無理に貸さず健全性を守る。上杉の城下町・米沢で、米織とともに堅実に歩む——その姿勢が、41.2%という低めの預貸率と、18.17%という厚い自己資本に表れていると読める。不良債権比率6.22%というやや高めの数字も、地場産業とともに浮沈を引き受けてきたことの表れだ。上杉の城下町・米沢で、米沢しんきんは置賜の経済とともに歩んでいる。預貸率という数字をどう読むかについては、預貸率の読み方もあわせてどうぞ。

山形の経済とともに

米沢信用金庫の数字は、上杉の城下町・米沢という土地と、米沢織を支えて歩んできた信金の歴史の、両方を映している。浮き沈みの大きい地場産業を深く理解しながら、無理をせず資本を厚く積んできた。城下町・置賜という土地柄と、地場産業とともに歩む堅実な経営が、41.2%という低めの預貸率と、18.17%という厚い自己資本に表れている。

銀行や信用金庫の数字は、その土地の経済と、その金融機関の生き方を映す鏡だ。米沢信用金庫を見れば、上杉の城下町・米沢の経済と、そこで米織とともに堅実に歩む信金の姿が浮かぶ。山形県の他の金融機関は、県都の山形信用金庫、庄内の鶴岡信用金庫、置賜の山形第一信用組合、県内最大の地銀山形銀行、第二地銀のきらやか銀行もあわせてどうぞ。預貸率という数字の読み方については、預貸率の読み方へ。山形県の他の金融機関と並べて眺めたい方は、山形県の地域金融機関のページへ。

米沢信用金庫と融資のはなし

米沢信用金庫は、上杉の城下町・米沢に根ざし、厚い資本を土台に米沢織の地場産業を堅実に支えてきた信用金庫です。地元の事業者に貸す信金とどう付き合うか、口座づくりから与信の考え方まで、知っておきたい銀行取引の基礎をまとめました。

預貸率とは 預貸率(よたいりつ)とは、金融機関の貸出金残高を預金残高で割った比率。預かった資金のうち、どれだけを貸出に回しているかを示す。繊維のような浮き沈みの大きい地場産業を地盤とする信金では、無理に貸さず、預貸率を低めに抑えて資本を厚く積む堅実経営を選ぶことがある。自己資本比率が厚い場合は、地場産業の変動に備える守りの姿勢の表れであることが多い。自己資本比率や不良債権比率とあわせて見ることで、その姿が見えてくる。 → くわしくは「預貸率の読み方

執筆・監修:燧徹史(¥Today 編集責任者)

出典:預金・貸出金・預貸率・自己資本比率・不良債権比率・店舗数=金融庁「中小・地域金融機関情報一覧」令和7年3月末(信用金庫の計数は百万円単位を億円に換算。預貸率は貸出金÷預金で算出)。山形信用金庫・鶴岡信用金庫・山形第一信用組合の数値も同出典。
沿革(1926年11月1日に「保証責任米澤織物製造信用販売購買組合」として設立されたこと、1943年の改組・合併を経て米沢市信用組合となったこと、1951年10月に信用金庫法に基づき米沢信用金庫として新発足したこと、本店が米沢市にあること、置賜地方を地盤に13店舗を展開すること、米沢市に本店を置く唯一の地域金融機関であること、2016年に創立90周年を迎えたこと、1950年代に米沢織の手形割引が貸出の過半を占めたこと、経営陣に織物実務経験者を起用し米織業界を支えてきたこと)=米沢信用金庫および各種公開情報にもとづく。
米沢・置賜の地理・歴史(米沢市、置賜地方、上杉氏、上杉謙信、上杉鷹山、上杉神社、上杉まつり、米沢城、米沢織、米織、米沢牛、吾妻連峰)に関する記述=各種公開情報・歴史的事実。

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