駆け引きが通じるのは、立場が上のときだけ——自分の値段を、知っていますか
お金を借りたい側は、いつだって立場が下にあります。これは、どんなに時代が変わっても揺らがない構図です。その前提を見ないまま強気に出たり、はったりを利かせたりすることが、なぜ自分の首を絞めるのか。自分の立場を冷静に値踏みするとはどういうことかを、掘り下げます。
はじめに——これは「地方の金融機関」共通の話
ここで述べる手続き・心得は、地方金融機関のいずれでも共通するフローだと思ってください。都市銀行(メガバンク)を別にすれば、地域の金融機関との付き合い方は、おおむね同じ作法で通ります。そして今回の話は、金融機関に限らず、人にものを頼む場面のすべてに通じます。
絶対に崩れない、一つの構図
最終的に、お金がなくなって調達を迫られるのは、いつだって「お金がない側」です。当たり前のようでいて、ここを忘れる人が、驚くほど多い。
どんなに時代が変わっても、ここだけは変わりません。たとえ貸し手のほうが借り手を探し回る時代になっても、この構図そのものは不滅です。世の中の資金需要の総和より、貸し手が貸したいお金のほうが大きい——そんな一時期にだけ、見かけ上ふっと崩れることがある。けれど、それは潮の満ち引きのようなもので、原則そのものはびくともしません。借りたい側は、立場が下にある。まず、ここから出発します。
はったりは、立場が上の者の道具
立場が下にあると分かると、つい、それを覆そうとする人がいます。強気の交渉、はったり、見栄。「自分には実はこれだけの力がある」と大きく見せようとする。これが、いちばん危ない。
駆け引きやはったりというのは、最後の最後、それが暴かれる段になってもなお裏に実体がある者だけがやれることです。実は巨万の富がある——そう吹聴して、その実、内情は火の車。それが暴かれたとき、関係はどうなるでしょうか。大きく見せることに慣れた人ほど、この落とし穴に落ちます。
言ってのけた額が、本当に、あるいはそこまでではなくても馬鹿にならない金額として手元にあったなら、相手は「この人を怒らせると面倒だ」と、そのリスクから手を引く。けれど、空っぽだと見抜かれた瞬間、二度とまともに相手にされなくなる。嘘がばれることは、関係の終わりの入口なのです。今お金がない人が、知恵と努力でそこを乗り越えるのはいい。けれど、その道具は、偉そうな態度でも、ばれたら不興を買う駆け引きでも、断じてありません。
自分を、正しく値踏みする——定量的評価と一物一価
では、何を道具にするのか。経営でいちばん大事なのは、定量的な評価と、一物一価という二つの物差しです。
定量的な評価とは、自分が持っている担保の価値を正しく把握したり、会社の剰余金や資本の余裕がどれくらいあるかを、ある程度長いスパンで計算したりすること。感覚ではなく、数字で自分を見ることです。
一物一価は、もう少し戒めに近い。たとえば、中古で売れる靴を持っているとします。使用感が同じなら、本来は他人のものと同じ値段でしか売れないはずです。ところが、「自分が持っていた」ことが付加価値になって、もっと高く売れるはずだ——人は、平気でそう言い出しかねない。自分が履いたスニーカーは定価より高く売れる、と本気で錯覚するのです。
物差しが狂った人は、どうなるか
物差しが狂った人が、実際にどうなるか。重い実例があります。
自分の愛人を養う金すら気前よく出せないのに、何億円もの企業買収を自分一人で決められる——そう吹聴した結果、ビジネスマンとして再起不能になった人物が、実際にいました。
もう一つ、ありがちなのが、社長が、実務を担う共同創業者やコンサルタントを追い出して自滅する構図です。ある会社は、一年で売上が一億円から五億円へ伸びました。けれど、その伸び分の四割以上は、外部の人間が斡旋した取引先で、残りもその紹介によるものでした。会社はそこに不義理を働き、斡旋していた相手が取引を止めた。すると翌年、売上は七億円から一億円へと転落し、そのまま即死しました。誰がいくらの売上を担っているのか、その数字の出どころの管理が、まるでできていなかった。つまり、定量的な評価そのものが、できなくなっていたのです。
どの例にも、共通する筋があります。持ち慣れない金を持った結果、自意識が膨らみ、周りの人間すべてにそっぽを向かれて終わる。自分の履いた靴は高く売れると、本気で信じてしまった人たちの末路です。
そして、人は、こうして嫌われていく
こういう勘違いを重ねるうちに、人は嫌われていきます。そして——内情を不審に思った相手が調べてみたら火の車だった、というとき、その銀行員はあなたの話を信じるでしょうか。
立場や相手の値踏み以前に、振る舞いの土台として要ることが、三つあります。
① 相手によって態度を変えない。大きな相手にも、小さな相手にも、同じ顔で向き合う。
② 自分の態度を、環境に依存させない。調子のいいときも悪いときも、自分の芯をぶらさない。
③ 好かれようとするのではなく、嫌われないように、常識を踏襲する。媚びるのとは違います。当たり前を、当たり前に守るだけです。
ところが多くの人は、逆をやる。好かれようとし、相手によって態度を変え、小銭を握ったとたんに尊大になり、残酷になる。それまでどれだけ腰を低くやってきた人でも、いざ壊れるとなれば、半年もかかりません。——いや、正確に言えば、壊れるのは「腰の低さ」ではない。壊れるのは、その人自身です。そして、すべてを失うのに、一年とかからない。相性が合う合わないという話の手前で、相性を乗り越えること自体が、すでに実力の一部なのです。では、そのために要る立ち居振る舞いとは、何でしょうか。
立場が下でも、顔を上げる
立場が下の者は、みんな頭を下げます。だから、頭を下げるだけでは、あなたは「みんなと同じ」にしかなりません。
けれど、経営者になる以上、あなたの会社とあなたの顔を覚えてもらうことが、すべての第一歩です。だから——頭を下げたほうが無難に見える、まさにその場面でこそ、顔を上げて話し、相手にきちんと顔を見せること。これは、強気に出ることとは違います。誠実さと透明性に裏打ちされていなければ、ただの無礼です。空っぽのまま顔を上げれば、それは先ほどのはったりと同じ末路をたどります。中身があって、はじめて、顔を上げることに意味が宿ります。
頭を下げる価値が、つく日まで
では、「立場が上のとき」とは、借り手にとってどういう状態でしょうか。それは、相手がどうしても貸したくなる——裕福な、あるいは伸び盛りの会社になっている状態です。
頭は、そこで下げるのです。立場が上の者が下げて、はじめて、頭を下げるという行為に値打ちがつく。無力な人間がいくら叩頭しても、そこに価値は宿りません。ただ「みんなと同じ」になるだけ。それが、冷たいようでいて、現実です。だからこそ、積立で財務の余力を示すこと、まめさで人物の信を積むこと——この連載で言い続けてきた地道な積み重ねが、いつか、あなたの下げる頭に値打ちを与えてくれます。
あなたは普段、売り物に値札を貼っています。では、あなた自身の値段が、いくらなのか。一度でも、確かめたことがありますか。
他人のものは値踏みするのに、自分のことだけは、特別な物差しで測ってしまう。それが、いちばん危うい。自分を正しい値段で見られる人だけが、その値段を、これから上げていけます。
執筆・監修:燧徹史(¥Today 編集責任者)